わが創元推理文庫神7(その1)

東京創元社2019年新刊ラインナップ説明会で北村薫氏と宮部みゆき氏が創元推理文庫の神7作品を選んでいた。それを見ると自分でも選んでみたくなった。
ただし選出にあたっては次の縛りを入れる。

  1. 東京創元社オリジナルであること。(つまり既に他社で出た本の文庫化あるいは新訳ではないこと)
  2. 今でも容易に手に入る本であること
  3. 今回は海外作品のみに絞り、かつ創元SF文庫は除外する

最低これくらいは条件をつけないと、とても選びきれるものじゃないから。

で、まず登場するのはこれ ↓

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創元推理文庫はこの他にもクェンティン作品をいろいろ出してくれていて、それには非常に感謝するしどれもまずまず面白く読んだけれど、読み終わっていつも必ず思うのは、「それにしても『二人の妻をもつ男』は傑作だった!」ということだ。そのくらいこれは他のクェンティン作品より頭二つも三つも図抜けている。間然するところのない作品とはこういうものを言うのだろうか。

それなりに幸福な生活を送っている男が別れた前妻にたまたま会って焼けぼっくいに火がついてしまうという、あまりといえばあまりにも陳腐なメロドラマでこの小説ははじまる。ところがどっこい、読むにつれてこれが驚くべき展開をするのだ。つまり初めのうちは作者のプロットの都合で操られるままと思えた登場人物たちが、隠された裏面を顕すにつれて、どんどん血の通った人間になっていく。三島由紀夫はかつて『Yの悲劇』をくさして「犯人以外の人物にいろいろ性格描写らしきものが施されながら、最後に犯人がわかってしまうと、彼らがいかにも不用な余計な人物であったという感じがするのがつまらない。この世の中には、不用で余計な人間などというものはいないはずである」と書いた。だがこの『二人の妻をもつ男』には不用で余計な人間は一人も出てこない。下手をすると主役より脇役のほうが魅力的で読後の印象に残るくらいである。

ここに出てくるのはほとんどが悪人あるいは人間的欠陥を持った人物ばかりだ。つまり犯人がいちばん悪い人間というわけではない。ところが不思議と誰も憎めない(ただし被害者は別)。憎めないどころか好きになってしまう。これを作者の筆の勝利といわずしてなんといおう。そして犯人は物語の中途でさりげなく表舞台から去り、あとは他の登場人物の会話によってその隠された性格や犯罪動機が明らかにされる(ここらへんは宮部みゆきの『火車』のおしまいのほうにちょっと似ている)。それも非常によろしい。

物語の終盤に、語り手が登場人物の一人を「お前が犯人だ!」とばかりにつかまえて、その理由を縷々説明するシーンがある。ところがああ何ということか、相手はにわかに破顔一笑して、「君が犯人がわかったといったときには、おれは君がほんとうにわかったのかと思ったよ」と言うのだ。つまりこの相手(ちなみに探偵役ではない)はとっくの昔に犯人の見当がついていて、語り手だけがそこに気づかなかったというわけだ。このシーンのコミックな味わいだけでもこの作品は傑作の名に値すると思う。