短刀異見

横溝は乱歩から「本陣殺人事件を評す」を受け取って、「短刀を送りつけられたような気がしたね」と語ったという。

横溝はこの手紙に「よくもオレより先に本格探偵小説を書いてくれたな」という乱歩の嫉妬あるいは敵愾心を感じ、それで短刀うんぬんと感じた、というのが『乱歩謎解きクロニクル』の意見であるようだ。だがわたしはちょっと違う考えを持っている。いい機会だからメモ代わりに書いておこうと思う。

問題はむしろ「本陣殺人事件」が乱歩の「何者」を下敷きにしているところにあったのではないか。

この下敷き説は別にわたしの創見ではない。つとに村上裕徳さんが指摘しているところのものである。事実、「何者」と「本陣」は、次のようにいくつもの共通点を持っている。

  1. 被害者イコール○○であること
  2. 犯人が誰にも知られたくない秘密の動機を持っていること
  3. 犯人が凶器を遠くにやって捜査を攪乱しようとすること
  4. 探偵小説愛好家が犯行に絡み、犯罪計画に探偵小説的趣向を添えること
  5. 犯人が予期しえなかった出来事が、図らずも密室状況を作ること(「何者」では材木、「本陣」では雪)

どうです、とても偶然とは思えないでしょう。

「本陣」に登場するある人物について、こんな描写がされている。「……他人のかいたあら筋を修飾し、補筆し、助言して、面白いものに完成する。そういうことに、不思議に妙を得た人物があるものだが……」。そう書いた横溝自身にも多少その気はあった。編集者生活のたまものなのかもしれない。ともあれ、それが最高度に発揮された作品のひとつが『本陣殺人事件』であった。

ただし乱歩のほうで下敷きされたことに気づいていたかどうかはわからない。おそらく気づいてなかったのではなかろうか。天才というものは往々にして自分の真価を理解していないものだから。とくに乱歩は、人が褒めないと自分の作に自信が持てないという難儀な性格をしていたから、世評必ずしも芳しくなかった「何者」のことなど忘れていたのではなかろうか。

しかし横溝のほうはたぶん意識的に下敷きをやっていただろうから、乱歩から手紙をもらったときは「アッばれたか」と思ったに違いない。それが「短刀を送りつけられる」という表現になってあらわれたのではないか。

しかも乱歩の評で褒めてあるのは主に下敷きをした部分であり、新たにアレンジした部分(機械仕掛けとか、犯人の動機とか)には厳しい評が下されているのだからさぞ腐ったことだろう。

なにより都筑道夫が後に賞讃した「三本指の男」の使い方は、横溝の独創性が光るところだが、肝心のそこについては何も触れられていないところに、乱歩の悪意を感じたのかもしれない。