「光輝故(ゆえ)なくしては」

 
かつて都筑道夫はポケミスのあとがきで『ドグラ・マグラ』を、「狂人の主観を通して狂人をめぐる一事件を書いたもの」と評したことがあった。

でもこれは『ドグラ・マグラ』にかぎらない。いわゆる三大奇書と呼ばれているものには、多かれ少なかれそんなところがある。そしてそれらの作者のうち、いちばん頭のおかしいのは誰かと問われれば、やはり黒死館の人なんじゃない?、というのが衆目の一致するところであろう。なにしろ碩学松山俊太郎をして「その遺された作品ですら、彼の頭脳を探る乏しい手がかりにすぎない」(引用は記憶によるので正確ではない)と言わしめた人なのである。

かくてそんな作者が書いた『黒死館殺人事件』はそれ自体が眩暈(げんうん)の書なのだが、この『新青年版』は注解を通して、その眩暈が幾倍にも増幅されている。注解をたどってこれを読むものは、「こんな膨大な知識を作者はよく一冊の本に詰め込めたものだ」という驚きに、「こんな膨大な謎を注解者はよく博捜し突きとめられたものだ」という更なる驚きが加わって、両者の相乗効果による前代未聞のハルシネーションを――ダンネンベルク夫人の屍体を包む栄光の如きものを――を体験することになろう。そして巻末にまとめられた手稿との異同一覧がさらなる眩暈をもたらす。

なにしろ虫太郎のペダントリーなるものは、百科事典を引いたりウェブで検索したりするだけで正体が判明するものではまったくない。あらゆる知識は虫太郎の頭脳を通ると変調され歪曲され、しばしば似て似つかぬものに化けて、作者の幻視に奉仕する。それを追及する大変さというのはおそらく想像を絶するものがある。

おうそうそう、もうひとり大変だった人のことを忘れてはいけない。マイルス・デイヴィスの背後でテオ・マセロがテープ編集したりオーヴァーダビングしていたように、この新青年版黒死館という偉業の陰にはひとりの辣腕家庭内プロデューサーがいた。もし彼女がいなければこの書は夢想のままにとどまり、おそらく形にはなっていなかっただろう。