『裏面』

裏面: ある幻想的な物語 (白水Uブックス)

裏面: ある幻想的な物語 (白水Uブックス)


他の分野で活躍している人が、とつぜん魔がさしたように小説を書いてしまうことがある。ダリ『隠された顔』とかキリコ『エブドメロス』、あるいはハーバート・リード『緑の子ども』。日本では村山槐多や折口信夫の作品など。
それらはことごとく幻視の性格を帯びている。彼らは実際に何かを「見」て、筆を執らずにはいられなくなったのだろう。この『裏面』も例外ではない。現実がほころび、ペロリと皮を剥いたようにその裏側(『裏面』)があらわになるのを作者は見たにちがいない。現実のオーストリア・ハンガリー帝国が滅びる(一九一八)十年も前に。
そしてここに描かれた絶望と確信とはたぶん遍在する。『裏面(対極)』論からはじまる評論集『失楽園測量地図』のラビリントス版あとがきで、種村季弘は、終戦直後の池袋駅前に発生した闇市に触れてこう書いている。

[……]私が最初にあの原市場を訪れた日は、ギラギラと灼けつくような残暑が焼跡を照りつけている午後であった。[……]それはマルクス・アウレリウスが辺境の戦士としてドナウ河畔に蛮族と対していたときの、あるいはまた『対極』の主人公が熱帯と化したペルレ市を逃げ惑うときの感情に、むしろ似ていたのかもしれない。それならば私もまた、私なりの『自省録』を書き、『対極』を書いて、戦乱と瞑想、栄耀と諦念とを相互に交換しなければならなかったわけだ。


ああそれにしても、アメリカ資本が介入するとろくなことにはならんということがよくわかりますな。いや別にアメリカに限った話ではないけれど。