自分で書いてて分からないんですが


白水Uブックスから近くグスタフ・マイリンクの『ゴーレム』が再刊されるという。実にめでたい。
マイリンク長篇の魅力といえば、まずは何といっても、彼の小説以外ではお目にかかれない奇怪な人物が、それにふさわしい奇怪な舞台で、モゾモゾと活躍をするところだ。『ゴーレム』のプラハにしても、『緑の顔』のアムステルダムにしても、マイリンクの登場人物がいったん動き出すと、えもいわれぬ胡乱な町へと変貌する。

長篇はどれをとってもゴタゴタした感じを払拭しきれず、たとえばペルッツなどとは全然違うのだけれど、それもまた魅力を形作っている。つまり作者のなかでは詐欺師と神秘主義者と皮肉屋とが同居していて、しかし互いの仲は必ずしもよくなく、隙あらばひとつの性格が他を押しのけて出しゃばろうとしているかのような感じを受けるのだ。ひとことで言えば種村季弘好みの作家であって、種村氏がその中長篇をいくつも訳したのもまことにさもありなんと思う。

そういう人だから、小説そこのけに面白い逸話を幾つも残している。ここではゲルショム・ショーレムの回想録『ベルリンからエルサレムへ』で披露されたエピソードをひとつ。ショーレムといえば押しも押されもせぬユダヤ神秘思想研究の泰斗だが、1921年のある日、マイリンク邸に招待されたそうだ。何かと思って行ってみると、

彼はわたしに自分の小説の何カ所をさし示し、「これを書いたには書いたのだけれど、どういう意味なのかわからないのです。説明してもらえませんか」というのだった。


ときにショーレムは若干24歳、マイリンクは53歳。自分の息子くらいの年齢の若者に教えを請うというのがまず偉い。執筆時には出張っていた詐欺師の面が、その後真摯なオカルト探求者のそれに座を譲ったのだろうか。ともかくわざわざ専門家を読んで自分の小説を読ませ、「どういう意味でしょう」と聞くようなとぼけた人柄には、魅力を感ぜずにはおれないではないか。日本で言えば小栗虫太郎がたとえば日夏耿之介に、「これを書いたには書いたのだけれど、どういう意味なのかわからないのです。説明してもらえませんか」と聞くようなものだろうか。いや虫太郎なら絶対にそんなことはするまいけれど。

ちなみに、上のエピソードでもわかるように、この『ベルリンからエルサレムへ』は、他にもユダヤ人のくせに嬉々としてクリスマスを祝う父親の話とか一種独特のユーモアに満ちていて、たとえユダヤ思想やカバラにまったく興味がなくても面白く読める本だ。あとヴァルター・ベンヤミンとの細やかな友情はBL好き諸姉の琴線をくすぐることだろうとも思う。