半睡の百物語


Telephoneの最初のTが欠けてelephoneになっている。おお、elephone=erehwon! このnowhereの逆つづりほど、百間を端的に示すものがあるだろうか。東京駅の食堂、有楽町の丸ビル、日比谷のお濠など、俗中の俗ともいうべき背景を用いながら、そして目に浮かぶほど鮮やかな描写を繰り広げながら、だがそれゆえにこそ、「どこにもない」世界をそれは表出している。

人も知るように百間の小説は夢の文学である。ところが本書では、それら夢の小説が、リアリスティックな日記やエッセイと綯い交ぜになって現れる。こいつははじめのうちは、走行の安定しない車に乗っているときのような悪酔いを招く。だが見よ! なんと不思議なことには、それはページを繰るうちに、徐々にえもいわれぬ酩酊へと変わっていくではないか。

一風変わった古書店主マルセル・ベアリュの著作に、"Contes des demi-someils"――「半睡のコント集」なる本がある。目覚めつつ夢見つつ、なおも目覚め、そして夢見ている――本書を読んで得られる酩酊は、そうした稀有な体験ともいえよう。そして巻末に近づくにつれ、とんでもない世界が読者を待っているのだ。これだけはぜひ読者諸氏が自ら紐解いて確かめられたい。

『贋作我輩は猫である』みたいな戯作以外には、長篇小説らしい長篇小説を残さなかった百間だが、もしそんな彼が本気で長篇を志していたならばどうなっただろう。それは本書に非常によく似たものになるのではないか。なんだかそんな気さえしてならない。