よくわからない冗談

 
「伊沢蘭軒」は大正5年6月から大正6年9月にかけて東京日日新聞などに連載された。もちろん大多数の新聞購読者は「毎朝毎朝鷗外先生の麗文が読めるとはなんという幸せか」と感涙にむせびながら読んでいたものと思う。

しかし、なかには不心得者もいて、「あちゃー渋江抽斎がやっと終わってくれたと思ったらまたこれかよ〜。山なし落ちなし意味なしはもうたくさんだ! ああ蘭軒さえ、蘭軒さえ終わってくれたら毎日どんなにすがすがしい朝が迎えられるだろうことよ」などと思っていたのではないか。

でも世の中はそんなに甘くない。ようやく「伊沢蘭軒」が終わったと思ったら、待ってましたとばかりに「北条霞亭」の連載がはじまるのだ。まったく生き地獄、いやいや、当時の読者は鷗外の文章が毎日読めてさぞかし幸せだったろうと思う。

でも「伊沢蘭軒」読むなら、大判の鷗外全集で総ルビと難読漢字のまぐわいに酔いしれながら読まないと、楽しんで読むという境地にはとても達せないと思うよ。新聞連載で読むというのはちとどうかな。

唐突にこんなことを書いたのは他でもない。人の日記を写すだけで毎日更新していていいのかなと後ろめたく思ったからだ。わが身を鷗外と引き比べるなど不遜の極致ではあるけれど。ということで今日もビオイの日記から(1954年5月11日)。

冗談でボルヘスにこんな推理小説を書くのはどうかと提案してみる。薬草で保存された老ガウチョの死体が発見される。それはメトセラ的長寿を保つといわれる薬草の効能の宣伝であった。死体は行方不明になっていたサントス・ベガであることが判明する。盛大な葬儀がおこなわれ、りっぱな霊廟が建てられる。探偵が、その男は仮装舞踏会で殺された(イタリア人の)サンジャコモであることをつきとめる。真相を暴露しようとする探偵に、サントス・ベガ・ソサエティは危機を感じる。国粋主義者ばかりか民主主義者からさえも攻撃を受け、探偵は国外亡命せざるをえなくなる。

仮に冗談としてもどこが面白いのかよく分からないんですけどビオイ先生。まるで某氏のダジャレのようです。

実は『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』にもそんなところがあって、ふだん冗談を言い慣れない人が無理に冗談を言おうとして盛大にすべっているようなところがなきにしもあらず。

それとも、当時のアルゼンチンの社会事情を知っていれば笑えるようになるのかしらん。それにしても恐ろしいのは、上記のプロットは改変されて、二人の合作推理小説『死のモデル』に取り入れられたことだ。

この『死のモデル』は5年ほどまえ、ROMで紹介しようとしたが、あまりのわけのわからなさにあえなく挫折した。しかしまだまだあきらめてはいないぞ! すくなくとも「伊沢蘭軒」よりは易しいはずだ!