五月では遅すぎる

引き続きビオイの日記より。

1969年4月6日(月)
ドイツの出版社より手紙。トルハウゼンの独西辞典のような言い回し。『六つの難事件』の難事件にボルヘスとビオイの序文がほしいと書いてある。四月中にほしい、五月では遅すぎるとのこと。
 
1969年5月21日(水)
『六つの難事件』ドイツ語版のための序文を送付。時間がなかったので、執筆にあたっては、わたしは単なる書記役に甘んじた。アイデアは提供したものの、口述されたものを、修正することなく筆記した。

ということで『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』のドイツ語版には、この版だけの序文がついている。その代わり今手元にあるペーパーバック版ではモンテネグロの序文が割愛されている。後にハンザー社から出たボ氏全集にはモンテネグロの序文はちゃんとあるがドイツ語版のために書き下ろされた序文はない。ああややこしい。
 
でも別にややこしいのはドイツ語版だけではない。この『六つの難事件』は初版本以降、作者らによる改稿がなされており、本国版においてさえも複数の本文が存在する。だから翻訳などする場合には本文の校訂が不可欠だ。

で、せっかくだから新版ボ氏書評集にはこのドイツ語版序文も入れることにしよう。そのさわりをちょっと紹介。

 わたしたちの二番目の意図は風刺でありパロディーです。今回この六つの短篇が幸運にもドイツ語訳されるに際して、わたしたちは憂鬱な希望を抱いています。すなわち、わたしたちが当時面白がったあらゆる馬鹿馬鹿しさが、あの時代のわたしたちの町ブエノスアイレスだけに見られる特徴でなければいいのだがという希望です。スラングは常にパロディー的なものです。まったく意識的に、バーレスク的な気分の導くまま、わたしたちはブエノスアイレスの広範な階層の話しぶりを取り入れ、それを大きく誇張しました。翻訳者の方があまりひどい困難を覚えなければいいがと願っています。

ゆみに町ガイドブック、どこの書店でも見つからない。本当に出たのだろうか。ゆみに町ガイドブックを売っている店のガイドブックがほしい。あと海百合さんの新刊も見つからない(別にショゴスを探しているわけではない)。