マニアが最も恐ろしくなるとき

 
 マニアが最も恐ろしくなるときはいつか。いうまでもない、論争をするときだ。ボ氏の場合も例外ではない。相手は当時ブエノスアイレスにいたロジェ・カイヨワ。彼は当時弱冠二十九歳の新進社会学者で、対するボ氏は四十三歳だった。

 そもそものきっかけは、一九四ニ年の四月と五月に二人が『スル』誌上で行った論争にあった。カイヨワは推理小説を社会学的に読解してみせ、このジャンルはジョセフ・フーシェがパリに警察を組織したのと同時に始まったと論じた。それに対してボルヘスは、ポーの物語こそ推理小説の原形であると断言し、辛辣なことばで議論を片づけ、カイヨワのアプローチをまるごと退けた。「カイヨワの推測はまちがってはいない。ただ的はずれというか、立証できないと思うのだ。」 けれどもカイヨワは気にしなかったらしい。一九四五年にブエノスアイレスをあとにしてだいぶたってからも、彼はヨーロッパでボルヘスを宣伝し続けていた。ボルヘス自身のちに何度も認めていたように、カイヨワの尽力があったからこそ、彼は真に海外で成功することができたのである。(ウッダル『ボルヘス伝』 209−210ページ)

 さいわいにしてカイヨワの反論はプレイヤッド版ボ氏全集第一巻の三百ページを越える注のなかに全文収録されている。ただ、実年齢とは逆に、カイヨワのほうが大人であったために、この「論争」はまったく盛り上がらずに終わった。推理小説の論争というのはおおむねつまらないものだけれども、これもその例にもれない。

 拙豚の見るところ、議論のくいちがいは見解の差、すなわちガボリオの作品を推理小説と認めるか認めないかにあると思う。ここでボ氏はいわゆる「本格理解派」で、今の日本で生きていたら『本格ミステリーワールド』で気炎をあげてそうな感じだ。