いつのまにか/だまされてしまう

 何をかくそう、佐野洋が大好きだ。もしかしたら鮎川哲也や都筑道夫より好きかもしれない。鮎川哲也や都筑道夫と佐野洋の差、それはネクタイを締めているかどうかにある。いや、リアル佐野氏がネクタイを締めているかどうかということではなくて、作品の雰囲気の話。

 少なくとも二十世紀に出た佐野洋の文庫本は全部読んだと思っていたのだが、さすが多作家だけあって、いまごろ未読の一冊に出くわした(『不幸な週末』)。もしかしたら一度読んだのをスッカラカンに忘れているのかもしれないけれど、それでも実質的には未読と同じだ。さっそく挑戦! いざ犯人を見破ってくれよう!

 ……と意気込んだのはいいけれど、またしてもしてやられてしまった。とある作家の作品は、叙述トリックだということがあらかじめ分っていても、それでもだまされてしまうというが、佐野洋にしても似たようなものだ。手口が分っていても、やはりだまされてしまう。え? 単に拙豚がアホなだけだって? いやもちろんそれはあるのだけれど。

 佐野洋の手口、それはこんなものだ。

  1. たいてい共犯
  2. とてもあざといミスディレクションを使う。むしろトラップと呼ぶ方が適切なほどの。
  3. 重大な謎だと思えたものが実は謎でもなんでもなかったりする
  4. 大切な手がかりが最後の最後になって出る

 三番目のはちょっとわかりにくいかもしれない。たとえば密室殺人が起こったとしよう。それなのに最後の五十ページになって、誰でも合鍵を持ち出せたことが分かる、まあそんな感じなのだ。もちろんこれほどひどくはないけれど、それに近いものが佐野作品には少なくない。

 この『不幸な週末』にしても、これらの要素が全部兼ねそなわっているからタチが悪い。とくに二番と三番。「犯人はなぜ電報を送ることができたのか。電報の宛先を知っているものが犯人だ」というところから考えを進めていくと、決して真相に到達できない仕掛けになっている。ああそしてまたもや、あのなつかしいブルースを口ずさむことになってしまうのだ。

髪は短く ネクタイしめた
やつらの言うことは あてにできない
いつのまにか だまされてしまう

 ボ氏復刊計画その後。データ原稿はとうに失われているため、OCRで復元した。せっかくだからボーナス・トラックとして何か追加収録したいが、さて何にしよう。

 ダゴベルトはある版元にあらすじを提出。吉とでるか凶と出るか。