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- 作者: 倉阪鬼一郎
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2010/06/24
- メディア: 単行本
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薔薇の咲きほこるその丘には二軒の邸宅が建っていた。上の方に住んでいるのは風丘夏彦。かつては数々の薔薇の新種を生み出した名栽培家だったが、年老いて足腰が不自由になってからは、自宅に籠もりきりでひねもす謎のような暗号詩を作っている。下の家には夏彦の弟、翻訳家の冬彦とその一家が住んでいる。冬彦の子は毎日のように伯父の夏彦を訪ね、暗号文の宿題をもらって帰る。兄弟の亡父は異端の作風を持つ洋画家で、晩年には先立たれた妻の絵ばかりを描いていたという。
それにしてもこの丘にはどことなく変なところがある。ふもとの住民は丘を忌み、郵便配達夫など以外はけして登ろうとしない。そしてたとえば冬彦の娘ミコは今はいない住み込みの家庭教師についてこう述懐する。
去年までは、家庭教師の茂子さんがいろんなことを教えてくれた。[…]びっくりしてうろたえるようなことがあっても、茂子さんに訊けば大丈夫だった。[…]
でも、茂子さんはだんだん小さくなっていった。声も小さくなった。
それからまもなくして、茂子さんは家からいなくなった。黒い薔薇になったから、実家に帰ることになった――パパはそう説明した。(本書 p.12)
「びっくりしてうろたえるようなこと」とはいったい何だろう。それが明かされるのは物語もお終いに近くなってからだ。
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本格ミステリとかいうものには「地の文は嘘を語らない」という不問律があるそうだ。しかしここではあらゆる文章が薔薇ととらんぷの魔術にかけられていて、ただ、作中におびただしく鏤められた暗号詩だけがひたすら真実を語っている。この驚くべき仕掛けを可能にしているのは作者の超絶技巧であることはいうまでもない。
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ミステリとの関連でいえばもう一つ。通常の殺人は密室の扉が開かれ事件が解明される。しかしある種の解明は逆に扉を閉ざすことがある。むろん内側から。
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しみじみと味読に値する佳品だ。初期作品の特色だった寄る辺なさが横溢しているのがいい。なにしろ主人公はラストで(以下16字略)。
流薔園の物語にしてとらんぷ譚であり、おまけに秘文字でもある本書は、倉阪ファンはもとより、中井の死を惜しむすべての者に絶対の必読書であろう。