日本幻想作家事典


これだけの厚さで7600円とは安い。平然と高額本を乱発する国書刊行会から出たとはにわかには信じがたいお買い得価格だ。いま刊行中の久生十蘭全集なんか、この本よりページ数が全然少ないのに9795円もしますよ? 
ということでさっそく一本を購ったが、この本を仕事で使うとか、その他なんらかの目的でツールとして使うことは拙豚の場合まずない。だからこれは純粋に読んで楽しむための本だ。(こういう読者もいるのだから、強いて誤植情報を隠すこともないと思うのだけど……)
ページをめくるにつれて、ここに記載されたこれだけの本を編者の方々は全部読んだのか!という恐ろしい事実に圧倒されていく。もちろん読んでいながらも記述を割愛したものがこの何倍も何十倍もあるだろうから、その総量はきっと想像を絶するほどのものだ。
この「全部読んでいる」をまざまざと感じさせるのは、とりあげられたほとんどすべての作品に付されたコメント(作品説明)である。このコメントの書き方が一種独特なもので、夢の中で話の筋を聞いているような、作品の上澄みだけを掬いあげるような、不思議なスタイルを持っている。
たぶん字数制限のためにやむなく採られたスタイルなのだろうけれど、このスタイルは本書を読み進めるうえでの大きな魅力だ。独自の文体を持つ事典という点では、やはり国書刊行会から大昔に出た荒俣宏の『世界幻想作家事典』を髣髴とさせよう。
たとえばある作品の説明として「かって無数の胎児を闇に葬った産院を改装したアパートで起こる怪事件を描く粘着質の怪奇ミステリ」とある(この記述はもろにネタバレなので作品名は伏せます)。普通どんな話かを説明するときは、そのいわゆる「怪事件」のほうを説明すると思うのだが……。あるいは、別のある作品の説明にいわく、「特別な音楽を聞いた少年が、ミュータント科学研究所に協力することになるが、警察沙汰になってうやむやに終わるSF」。これなんかは作品説明というよりは「****ってどんな話?」と友達に聞かれた人が、「いやそれはね、****な話なんだよ」と答えるときのスタイルに近い。
なんだか話が変な方向にそれてしまったけれど、本書を一言にして言えば、日本幻想文学の総体の途方もない広がりを、眩暈とともに体感させる「アレフ」にしてバベルの図書館である。バベルの図書館には意味をなさぬアルファベットの連なりだけの書物がたくさん蔵されているように、本書で取り上げられた作品にも、少なからぬ駄作珍作怪作が含まれているのであろうとは思うが、しかしそれらを欠いては、この宇宙は意味をなさない。その点でもこれはバベルの図書館なのである。
アイウエオ順あるいはABC順という「秩序という名の無秩序」が眩暈の現出に大きな役割を持っている点も共通している。ボルヘスの作中のそれとの唯一の違いは図書館長が蔵書を全部読んでいることだ!



隣はほぼ同時発売のなんでふ師の新刊