待望の書

文学における超自然の恐怖

文学における超自然の恐怖


かつてわが稚き頃、『怪奇小説傑作集 3 (創元推理文庫 501-3)』という本におそるおそる手を伸ばしたことがあった。なぜおそるおそるなのかというに、要するに怖いのが苦手だったのだ。(今も同じ。だからせっかくのクラニー先生の作品でも、『首のない鳥』とか『BAD』とか『すきま』などはお終いまで読んでいない)
その頃の『怪奇小説傑作集』のカバーは今よりもっと抽象的な絵柄だったが、それがかえっておどろな感じをかもしていた。息を呑んでぱらっとページをめくると、何かの小説の小見出しが目にとまった。

テーブルの上にあるものはかならずしも食べものではない

これは怖い! やはりこの本は怖いではないか!と怯えたあまり、あわてて本を本棚に戻してしまった。これは一生の不覚で、おかげで怪奇幻想文学との出会いは、高校時代、『幻想と怪奇』誌で「月影から聞こえる音楽」や「コンラッドと竜」を読むときまで持ち越されることになった。

なんでこんな益体もない思い出話をしているかというと、件の見出しが、この『文学における超自然の恐怖』にも出てきたからだ。

テーブルにあるものをいつも食べるとはかぎらない

これなら怖くない、ぜんぜん大丈夫。
テーブルにあるものをいつも食べるとはかぎらないのは当たり前だろう。だって満腹のときは、お菓子とか置いてあっても食べる気にならないではないか*1と。ああ大瀧先生が『怪奇小説傑作集』を訳してくれてさえいれば、拙豚も斯道へずっと早く参入できたのに……と悔恨ともなんともつかぬ変てこな気持ちになったのだった。

あだしごとはさておき、この『文学における超自然の恐怖』は、この手の小説に興味のある人には、必読の文献といってもいいだろう。
ラヴクラフトその人による、まるで邪神の描写でもしているかのような熱のこもった、ルネサンスから現代に至る傑作怪奇小説群の概観(まあ、結末まで語ってしまうのはネタバレの観点からどうかと思うけど)、本好きならば陶然とならずにはおられぬ夥しい稀覯本の書影、かてて加えて厳格な固有名詞の原音表記によって英語の発音の勉強までできる*2という、一石何鳥かのお買い得商品である。
ただ、訳者解説によると、本文にはラヴクラフトの記憶違いなどによる誤謬がときたまあるという。そういう部分は注があってもよかったかなとも思うが、すでにS.T.ヨシの注釈書がある以上、同じ轍を踏むのは潔しとしなかったのかもしれない。

それにしても、いまさらながら思うのは未訳作品の多さである。『エルシイ・ヴェナー』『黄衣の王』『ダゴンと呼ばれる場所』など、ラヴクラフトが賞賛している作品でも、必ずしも邦訳があるとはかぎらない。また、M.P.シールやウィルキンズ=フリーマンなどは邦訳短篇集が一冊くらいあっていいだろう。
もちろん現今の出版事情では、これは高望みであることは分かっている。しかしラヴクラフトの本はそこそこ売れているというではないか。本書を読んで、未訳作品に飢餓を覚える若い衆がたくさん――そういう本を出版しても採算が取れる程度に――増えてくれればいいなと思う。
 

*1:原文は One Does Not Always Eat What Is On The Table だから、大瀧訳のほうがより直訳

*2:たとえば、恥ずかしながらE.A.Poeが「ポー」ではなく「ポウ」であることを今回初めて知った。念のために辞書を引いてみたら本当にそうだった!