ビクトリア・オカンポのこと

 

皆さんはビクトリア・オカンポをご存知だろうか。そう、ブエノス・アイレスで文芸誌「エル・スール」を創刊し、ボルヘスらの作家を薫陶した才色兼備の女性だ。ビオイ-カサーレスの奥さんの幻想作家シルビーナ・オカンポは彼女の妹。ちなみにオカンポ家は六人姉妹で長女がビクトリア、末っ子がシルビーナ。

ビクトリアが十五歳のとき、というとシュオブの逝去した年かその翌年にあたるが、ブエノスアイレスにパリから演劇の一座がやってきた。その女優のひとりにビクトリアの魂は奪われる。

「わたしの目、わたしの耳は彼女だけをとらえていました。ポーの小説のヒロインのように痩身で、蒼白で、いまにも壊れそうで、噂によると結核ということでした。美人とは言えませんが、その不美人さは表情に富み人を魅惑する不美人さなのです。そのうえ印象的な声を持っていて、詩の朗誦は誰よりも優れていました。これがはじめて彼女の声を聞いたときの感想でしたが、わたしは間違っていませんでした。その頃一座に彼女を越える役者はいないとわたしが言うと皆笑ったものです。わたしの意見は聞き入れられませんでした」 数年後、サラ・ベルナールの舞台に接してもビクトリアの評価は変わらなかった。 (Doris Meyer "Victoria Ocampo: Against the Wind and the Tide" pp.30-31)

この女優が数年間ブエノスアイレスに滞在すると知ったビクトリアは両親に無理やり頼み込んで、週に二回、彼女のもとにフランス詩の朗誦のレッスンに通ったという。

彼女の名はマルゲリーテ・モレロ。つまりシュオブの奥さんだった女性だ。

シュオブと知り合った頃のマルゲリーテはテアトル・フランセ(コメディー・フランセーズ)で活躍していた。ボードレールや象徴派の詩の朗誦で多くのファンを持ち、マラルメやローデンバッハとも親交があったという。二人が恋仲になったのは一八九五年一月ころだと言われている。

シュオブはマルゲリーテにぞっこん惚れていて、ピエール・シャンピオンの伝記『マルセル・シュオブとその時代』の第十章には、一読赤面を禁じえない数々の恋文が、これでもかこれでもかとばかりに引用されている。

ちょっとちょっとピエール、何かシュオブに含むところでもあるのか、と気の弱いわたしなどは思ってしまうほどに赤裸々な恋文が次々晒される。さらにピエール・シャンピオンがすっぱ抜くには、感極まったあげくシュオブはこんな誓約書にまで署名したそうだ。

僕は完全にマルゲリーテ・モレノの支配のもとにあり、彼女は望むことを何でも僕にしてかまわない。殺すこともふくめて。   
パリ、一八九五年九月二十三日、マルセル・シュオブ  
(Pierre Champion "Marcel Schwob et son temps" p.113)

まあこういう誓いをする人はあまり長くは生きないとは思う。

シュオブの資料を漁っているうち発見したボルヘスとシュオブの意外な結びつきでした。しかしこれは有名な話であるらしく、モネガルのボルヘス伝(Jorge Luis Borges: A Literary Biography)でもちらっと言及されていた。