どんな鞄?(4):症例それとも伝説

 
 フランシス・キングによれば、カヴァンは「何かの老年病」で亡くなったという。そこでカヴァンの二冊の伝記のうち最初に出たほうを覗くと、検死の際の診断は"fatty myocardial degeneration (脂肪性心筋衰弱?)"だったと書いてある。そして、その著者によれば、「検死官が死因を自殺あるいは薬物過量摂取とみなす余地はほとんどなかった、なんとなればすべての兆候が心臓疾患を示していたから」(同書p.149)。

 ところが後に出た伝記では、死因をfatty myocardial degenerationとしているのは同じだが、その前に"putatively of (推定上では)"という形容句がつき、かつ「彼女が自然死を遂げたのか薬物過量摂取だったのかは、けして解決のつかない問題である」(同書p.179)なんてことが書いてある。二冊の伝記のスタンスの差が、ここに典型的にあらわれているように思う。
 

 
 カヴァンの生涯について、なるべく主観を交えぬ客観的事実を知りたい向きには、最初に出たこのカラードの本がおすすめ。ただ、"The Case (場合/事件/症例) of ...." というタイトルがいみじくも暗示するように、この本のなかでは、カヴァンの作品はことごとく私小説的に読まれている。『氷』でさえ実生活が反映されているというから驚きだ。そして伝記的事実を読み取りようもない幻想的作品は、ほとんど触れられずに素通りされる。著者カラードにとって、カヴァンの作品は、伝記の素材源以上の意味を持っていないといえばもちろん言い過ぎになるだろうけれど、それに近い印象をときどき受ける。
  
 2006年に出た二冊目の伝記の著者ジェレミー・リードは他にルー・リードやマーク・アーモンドやスコット・ウォーカーの伝記も書いている。そしてこの本は、「ルーさんやマーク・アーモンドの伝記を書くような人がカヴァンの伝記を書いたら、さぞかしこんな感じになるだろうなあ」と読者が思うような、ほぼその想像通りの仕上がりとなっている。ようするに著者の目指しているのはカヴァンの伝説化だ。
 
 一言でいえば恥ずかしい本である。"A Stranger on Earth"なんていうタイトルも恥ずかしいし、"On the Road"とか"In a White Room"とかいう章タイトルも恥ずかしい。ジム・モリソンとかカート・コバーンなんて名が脈絡なく出てくるのも恥ずかしい。カラードの本ですでに言及されている未発表原稿"The Cactus Sign"を、さも自分がはじめて利用するかのように書いているのも恥ずかしい。カラードがその可能性を明瞭に否定しているのに、Kavanという筆名はKafkaを意識したのだろうかと書いているのも恥ずかしい。そしておまけにカヴァン作品への突っ込みはカラードよりさらに甘い。

 でももちろん取り得がないわけではない。なかでも特筆すべきは、カラードの伝記ではほとんど触れられていなかった画家としてのカヴァンに脚光をあてていることだろう。豊富に挿入されているカラー画像とあいまって、幻視の画家カヴァンを強烈に読者に印象づけてるのは手柄といっていい。全体として恥ずかしい本であることはかわりはないけれど。

 『氷』の訳者山田和子氏があとがきで、「生涯についてはとりあえずはオールディスの七○年版イントロダクションで充分としておきたい」と書く裏には、こういうお寒い現状へのいらだちがあることはまず間違いない。だから読者としては予備知識なしでいきなり『氷』の世界に入っていくのが一番だと思う。