マゾッホ時代のゴシック・カルチャー

醜の美学

醜の美学

 
くわしい感想をいずれ書くと言いながら放ったらかしにしていた本。
しかしこれが日本語になったのはやはり一つの事件だと思う。この本のなんたるかを知るには種村季弘『ザッヘル・マゾッホの世界』の第七章を読むにしくはない。ゴシック・カルチャーとのかかわりを説明したくだりを少しだけ引用すると:

……〈醜〉が擁護され、礼賛され、勝利する」そのような時代である。とはつまり中世であるが、中世そのものではなくて、近代の中にも底流している中世的ゴシック的グロテスク嗜好と言うのが正確だろう。近代美学の擬古典主義的合理主義の背後もしくは下にあって、暗く冷たい場所に跼蹐しておりながら、時代の危機を通じてふいに迸出してくる美的衝動と言ってもいい。(中略)というより一言にして言えば、四八年以後、時代の中世回帰的兆候はつとにめざましかったのである。それはボードレールの『悪の華』とローゼンクランツの『醜の美学』の時代でもあったが、何よりもラファエル前派の誕生とラスキン『建築の七燈』、『ヴェネツィアの石』の時代でもあったのだ。
 ローゼンクランツの『醜の美学』は今世紀(※二十世紀のこと)六○年代の文化ショックのなかから復活してきた。ローゼンクランツの復活そのものが今日の中世主義の所産なのである。……(『ザッヘル・マゾッホの世界』桃源社版p.121)

 
十九世紀のマゾッホと今日のゴシック・カルチャーを一直線に結ぶタネムラ超論理萌え〜〜〜