よそびとの夢・時間の獄

中井英夫戦中日記 彼方より 完全版

中井英夫戦中日記 彼方より 完全版

これは素晴らしい本だ! 単なる深夜叢書版(潮出版社版)の完全版というだけでは全然ない。
本書に先立つ深夜叢書版「彼方より」は編集者としての中井が、自らの日記に自ら手を入れて、ある意図の下に作り上げた「作品」といえるだろう。その作品の狙うところは、出口裕弘潮出版社版の後書きでいみじくも書いているように「……もし現場の殺人集団のなかに放り込まれたとしたら、敵ではなく、味方の手で殺されるほかなかった青年がそこにいるという意味で特殊なのである(潮出版社版p.182)」、すなわちある種のプロテスト、戦後に生き残ったものに対する訴えかけ、と側面が強いと思うし、たぶん、深夜叢書版を公にしたときの中井英夫も、そういった気持ちに動かされ「こういう青年もいたのだ」という気持ちで、本来は私的なものである日記を整理編集して公開したものと思う。
ところがところが、である。いまこの完全版を一読して感動するのは、そういったものとは180度異なる。ここにあるのは、何といおう、「時間の獄」につながれた一青年の姿である。深夜叢書版ではほとんど削除されていた御母堂の死を契機として、中井英夫はこの時間の獄に繋がれ、その囚人となった。そこらあたりの消息は、この日記とともに、「他人(よそびと)の夢」に生々しくドキュメントされているものだ――だから、本書と「他人の夢」は是非併読すべき、併読することによって互いの作品の真の意味がおぼろに忖度できるといった体の、相補的な作品であろうと思う。
思い起こせば、中井英夫が「時間の獄」からいくらかでも解放されたのは、戦後のほんのひとときであったとおぼしい――その解放期の輝かしい記念碑が「虚無への供物」であり、また「悪夢の骨牌」の後半部――あの作中の主人公が時間の獄から解放されて時系列が入り乱れる、神がかった描写――であろう。
その後、中井英夫は、再び時間の獄の囚人たることを自ら志願した。例の「B公」との一部始終も、本書を読んだ後では、御母堂体験の追体験としか思えないし、――B公の死にしても中井が自ら自分の世界で作りあげた――ちょうど「他人の夢」の杏子のような――御母堂の死を追体験するためのワンダランドとしか思えないではないか。B公の耐病期に併行して新聞連載された「La Battee」が、その無時間性において、本書と驚くべき相似をなすのも、けして偶然ではないと思う。
「虚無」以降の、中井英夫の(あえていってしまえば)「余生」を照らすすべての鍵は本書に籠められているといっても過言ではない。中井英夫(厳密に言えば「虚無」の作者以外の中井英夫)は、戦中において、すでに完成された中井英夫であったのだ! その意味で、本書は、いやしくも中井英夫に関心を持つすべての人にとっての必読書である。
不肖拙豚も、中井英夫のいう「流刑地」という言葉の真意が、本書を読むことによって初めて、おぼろげながら実感されてきたことをここに告白したい。この本を読んでない人には、こう言っても何がなんだかワケワカメであろうが……