搭上の姫君のパラドックス

 
クリプキの流れで、この本もちょっと覗いてみた。しかしこれはちょっとまずい本なのではないか。マクタガートの時間非実在論については誤解があるようだし、巻末近くの宇宙有限時間説などは冗談としか思えない、というかまるで若桜木虔の推理クイズ集に載ってるような回答だ。

しかし一番よくないのは本の半ばあたりの確率を巡る諸問題であろう。著者はコルモゴロフによって創始された、いわゆる近代確率論を理解していないようだ。例えばこんな問題が載っている(問題は問題点が浮き彫りになるよう簡略化した)

100人の人間が無作為に塔Aと塔Bに振り分けられ、それぞれ個室に入れられた。塔Aには95人、塔Bには5人収容できる。xさんは100人のうち一人だが、自分がどちらの塔に入れられたのか分からない。
 
1) xさんが塔Aにいる確率は?
2) xさんは係官に目隠しをされて塔の外に出され、一人の男に引き合わされた(男の名をyさんとしよう)。係官は、xさんとyさんは互いに異なる塔から来たと言う。xさんが塔Aにいた確率は?
3) xさん、yさんのどちらも自分が95%の確率で塔Aにいたと言って譲らない。しかしxさんとyさんは異なる塔から来たのだから、これはパラドックスではないか?

この本の著者の回答は
1) 95%
2) 95%(yさんに引き合わされたことで、xさんが塔Aにいた確率は変化しないから)
3) それぞれの主観的確率だから二人とも95%でいいのだ。

1)はまあこれ以外に考えられないのでよしとしよう。しかし2)で、「xさんがyさんに引き合わされた」という事実は、xさんのいた塔について一見何の情報ももたらしていないようだが、実はそうではない。「抽出が二回行われた」という事実がxさんに知らされたわけで、これは考慮するに値する情報である。

人は事後的に何か情報が与えられても、最初の確率計算に固執しようとする。いわゆるモンティー・ホールのパラドックスである。上記2)の解答もそのトラップに引っかかっている気がする。

実際、xさんとyさんがいかにして選ばれたかについては、次のようにいろいろ考えられる。

抽出法1 まず100人の中からxさんが無作為に選ばれ、xさんがいるのと異なる塔から一人を無作為に選んだ結果がyさんだった。
抽出法2 まず100人の中からyさんが無作為に選ばれ、yさんがいるのと異なる塔から一人を無作為に選んだ結果がxさんだった。
抽出法3 塔Aから一人を無作為に選び、塔Bからもう一人を無作為に選んだ。どちらがxさんでどちらがyさんかは分からない。
抽出法4 100人から一人を無作為に選び、その一人と異なる塔からもう一人を無作為に選んだ。どちらがxさんでどちらがyさんかは分からない。
抽出法5 100人のうちから二人を無作為に選んだら、たまたま別の塔だった。

このうちどの抽出法が採られたかをあらかじめ両人が知らされていたら、xさんとyさんの答えは一致するはずで、したがって3)で言うようなパラドックスも生じない。xさんが塔Aにいた確率は、抽出法1の場合は95%、抽出法2の場合は5%、その他の場合は50%となるはずである。

もしxさんが自分が抽出された方法を教えてもらえないのなら、「xさんに確率は計算できない」というのが2)の正しい答えであろうと思う。(確率論の言葉で言えば「前提となる確率空間が定義できないので計算不能」)