自分のことを「魔」と言うわけはない

いやそれは、あの手記が書かれたのは事件が起こってから二十年後なので、主人公にも自分を客観的に振り返って、反省する余裕が出てきたのではないかと。

しかしあの最後のフレーズ「そしてマイルズの小さな心臓は、魔を祓われて、止まっていました」は謎だ。なぜ少年の死を「魔を祓われて」と肯定的な表現で形容するのか。これはまるで「手術は成功したが患者は死んだ」と言うようなものではないか? 少なくとも拙豚には昨日書いたより以上の解釈は思いつかない。
 

 
ヘンリー・ジェイムズの表現の曖昧さと言えば、こないだ出たナボコフ=ウィルスン往復書簡集でも、ジェイムズは再三話題に上っているが、ウィルスンの執拗な薦めにもかかわらず、ナボコフはジェイムズなんか全然受け付けない人で、例えばジェイムズが闇の中で燃える葉巻の火を"red tip"と表現したことに閉口して、tipと言ったら硬くて尖った語感なんだから、葉巻の火の形容に使うのはダメダメだよ君、そんな描写じゃまるで禁煙用の偽葉巻みたいに響くぜ、きっとジェイムズは禁煙論者だったんだろうなと憎まれ口を叩いている(1941年11月28日の手紙)。ナボコフなら上記の疑問に、「どうせいいかげんな表現で書く奴なんだから、そんな一字一句にこだわったって仕方ないよ」と答えるかもしれない。