"The Turn of the Screw"と金玉の謎 

「蒸気にはスコロクというもんが付いておる。それがないと船は走らんのや」
 
私に云い聞かせながら、彼は私が描いた汽船のおしりに、即ち水面下に隠れているはずの部分に、小さな、いじけた四弁花のようなものを書き添えて、短い柄によって船体と連結したのだった。
 
「あとで浜へ行ってよく見てみイ」と彼は洟をすすり上げながら云った。私は友だちが帰ってから裏口を出て、砂浜まで出た。ひろびろとした砂の上に、お尻を海に向けて間を置いて並んでいる第二明社丸(明石神社の意)や第三琴平丸や、錦江丸には、いかにもアサちゃんの言葉通り、そのお尻に四枚翅か三枚翅の、緑色に錆びた真鍮のスコロクを備えていた。あるいはそこに、スコロクの軸を差し込む孔があった。  (稲垣足穂「パテェの赤い雄鶏を求めて」)

 
ヘンリー・ジェイムズ同性愛者説はいつ頃から唱えはじめられたのだろうか? 

Sheldon Novickによる最新の伝記(1996)では、ヘンリーとオリヴァー・ウェンデル・ホームズが愛人同士になっているらしい。しかし一方では、ジェイムズ不能説を唱えるレオン・エデル(五巻本の浩瀚な評伝を書いたジェイムズ研究の権威)もいて、彼の説によれば、ジェイムズは志願消防夫だった18歳の時に事故で睾丸を傷つけたせいで不能になったのだそうだ。エデルはこのNovickの伝記について、「ジェイムズは不能だったんだからホームズとであれ他の誰とであれ関係できたわけないではないか」と批判している。これにNovickが反論してちょっとした論争になったらしい。その経緯は「ジェイムズの金玉の謎」と題するサイトにまとめられている。

いい大人、しかもれっきとした大学教授がそんな、カップリング論争みたいな腐女子なテーマで熱く語らんでもよかろうと傍目からは思えるが、まあそれはともかく、この「ねじの回転」という謎めいた小説のテーマの一つに少年愛があることはまず間違いないと思うし、この作品の魅力の半ばは(稲垣足穂が喝破したように)「ねじの回転」というタイトルに負うているのではないか。その意味で、この訳題を「生硬な直訳」とみなす訳者後書きの意見には、にわかには与しがたい。

足穂の多くの作品――「彼等」「レーディオの歌」「蜩」「北落師門」、etc, etc――と同じく、この小説は、少年マイルズの夭折――「そしてマイルズの心臓は、魔を祓われて、止まっていました」という意味深長な一文とともに終わる。ところでこの「魔」とは何を指すのだろう? 一見それはマイルズに少年愛を仕込んだ下男クウィントを指しているかに見える。しかし少年は死によってクウィントと同じ世界、死後の世界に行くのだから、「魔を祓われて」というフレーズは、その解釈ではしっくりこない。もしジェイムズ同性愛者説が真実としたならば、ますます違和感がある。

ここはやはり「魔」とは、あのいけ好かない女家庭教師を指していると考えなければつじつまが合わないのではないか。つまりこれはジョージ・マクドナルド「北風のうしろの国に」の隣に置かれるべき書物であるのだ。