ロナルド・ファーバンク「人工皇女」

単行本で60ページあまりの短い長篇。なんだか中絶作のような感じもする。
「未来のイブ」みたいな、機械人形が活躍する話をタイトルから想像したがそうではなかった。たぶん「アーティフィシャル(人工的)」という言葉は、例えば三島由紀夫を指して「人工的」と言うようなニュアンスで使っているのではなかろうか。
今日はプリンセスの十七歳の誕生日。彼女はパーティーサロメの踊りを披露するつもりだった。そこでヨカナーンに擬した一人の男に招待状を届けるため、男爵夫人を使者として差し向けた。プリンセスの姉に四輪馬車を使われたため、男爵夫人は乗り合いバスで彼の邸まで行かねばならなかった。「『プラッツで白いバスに乗ってね』とプリンセスがつぶやいた。『でも気をつけて、フラワーマーケットで群青色のに乗り換えるのよ。さもないとアバトワールまで行ってしまうから…」というのが出だしの文章である。男爵夫人が庶民の乗り物であるバスに乗るというミスマッチがこの小説の魅力のひとつで(女王が車の修理をしたいと駄々をこねる場面も出てくる)、先ほどの三島由紀夫で言えば、「黒蜥蜴」の緑川夫人の台詞「私の考える世界では、宝石も小鳥と一緒に空を飛び、ライオンがホテルの絨毯の上を悠々と歩き[…]私たちが消しゴムの指輪をはめ、その代りに地下鉄の吊手がダイヤとプラチナだらけになったら……」を彷彿とさせる。
ところでバスに乗った男爵夫人に、烏に化けた悪魔が眼をつける。バスを降りた男爵夫人は愛人のマックスと鉢合わせし、彼の車に乗せられてしまう。そうとも知らず、プリンセスは鏡の前で、ブレスレットと真珠のロープと以外は身に着けず、タランチュラの踊りの練習に余念がないのであった(英語は苦手なのでこの筋書きには自信なし。間違ってたらすみません(笑))。さて招待状は無事に届き彼氏はヨカナーンの役を果たせるのか? しかして男爵夫人の運命は???
この作品はビアズレーの「丘の麓にて」の影響下に書かれたとエドマンド・ウィルスンは言っているが、突拍子もないイメージの氾濫はたしかにそんな感じだ。いつの日か、エディション・イレーヌが出してくれることに期待しましょう。