ゴシックよもやま話(3) オトラント城綺譚(現代語訳)

 
平井呈一翁の名訳と言えば十指に――いや二十指にさえ余ろうけれど、その中でもひときわ異彩を放つのがこの「オトラント城綺譚」である。不勉強にして擬古文訳の方は通読さえしていないので、きょうお話しするのは現代語訳の方である。

この稀代の名訳の魅力をうまく説明できる自信はないけれど――とりあえず「ムハハハハハ」から行こうか。第二章の最後の方、セオドアの正体が露見する直前の場面である。

「おれは女の泣きごとと坊主の哀れ声には、騙されぬわい」「ナ、ナ、なんと!」と若者は言った。「スリャなんたる因果か、やっぱりおれが聞いたとおり、姫はふたたびそっちの手に?」「ムハハハハハ、きさまはおれの怒りを思い出に、いいから覚悟をするがいい。これがきさまの最後のときじゃわ」(牧神社版p.75)
 
(I am no more to be moved by the whining of priest, than by the shrieks of women. What! said the youth; is it possible that my fate could have occationed what I heard! is the Princes then again in thy power? Thou dost but remember me of my wrath; said Manfred: Prepare thee, for this moment is thy last. (p.83))

ご覧の通り、「ナ、ナ、」とか「スリャ」とか「ムハハハハハ」とかいうカタカナの部分は原文には影も形もない。この「ムハハハハハ」はいかにも悪者らしい笑い声だが、平井訳オトラント世界においては、善玉役の高潔なる神父さえ同じように笑うのである。第四章の終わりの場面

[…]イサベラと婚(めあ)う者は誰にせよ、ファルコナラ神父の俄か出来の小倅などにはやられぬわい」「ムハハハハ、昔から一城一領の主の席に俄かに臨んだ奴輩(やつばら)はみんな俄か出来じゃテ。そういう不正の輩(ともがら)は、ことごとく枯草のごとく萎れ去って、それきり跡方も知れませぬテナ」
 
(Whoever weds Isabella, it shall not be Father Falconara's started-up son. They start up, said the Friar, who are suddenly beheld in the feat of lawful Princes; but they wither away like the grass, and their place knows them no more. (p.166)

で、やはり原文には「ムハハハハ」はもとより「笑った」とさえ書いていないのである。これでいいのか? もちろんいいのだ。それが平井呈一ならば。えーとそれから、この平井ワールドでは、お姫さまは驚いたとき「シェー」という。

「[…]わが君マンフレッドに卑見を陳じ、いとしい愛娘(まなご)のマチルダを、そもじの父御フレデリックにさし出すことを言上しました」「エッ、スリャこのわたくしをフレデリック公に!」とマチルダは叫んだ。「シェー、母上さま、父上にそれを言上なされましたのか?」(牧神社版p.132)
 
I have been proposing to Manfred my Lord to tender this dear, dear child to Frederic your father --me to Lord Frederic! cried Mathilda--good heavens! my gracious mother--and have you named it to my father? (p.149)

 
平井翁は「おそ松くん」を読んでいたのであろうか? この「シェー」は前後三回ほど出てくるが、大体において「good heavens!」の訳語のようである(これを訳と言えるならの話だが)。ついでに言えばこの部分、「言上なされましたのか?」という微妙におかしい言葉遣いもなんだかマンガチックではある。

それから笑える場面というと、第四章で女三人(ヒポリッタ・マチルダ・イザベラ)がぎゃぎゃぎゃぎゃと先を争うように喋くりあう、まさに姦(かしまし)状態の会話の凄いリアリティがある。ここはある意味巨大な兜以上に圧倒される。作者のウォルポール自身サロンなんかでこの手の会話に接して常々辟易してたのではないかとつい邪推をしてしまう。一部分だけ引用してもあまり凄さは分からないかもしれないけれど、たとえば:

「[…]どうでもこちをフレデリックさまに添わせるおつもりなら、わたしゃおまえについて尼寺にまいりまする」「コレ娘、おちつきゃいの」とヒッポリタはいった。「すぐに戻ってくるほどに。それが神の御心とわかり、そなたのためによいこととわかるまでは、母はそなたを見捨てはせぬぞや」「そのお口には乗りませぬわいな」とマチルダはいった。「母上のいいつけなりゃ詮ないけれど、フレデリック様に嫁ぐのは、こちゃいやじゃ。ああ、どうしよう、この身はどうなろうぞいのう?」「エエ姦しい、なぜそのように喚きたてる。すぐに戻るというたではないか」「母上さま、どうぞここにいて、お助け下さいまし。母上に顔しかめられては、父上のきびしさよりも、こちゃなんぼうか辛うござりまする。いったん捨てた心をば、思い出させて下さるのはおまえばかり」「もうよいわ。二度とふたたび[…] (p.138)
 
(...will you leave me a prey to Frederic? I will follow you to the convent--Be at peace, my child: said Hippolita: I will return infantly. I will never abondon thee, until I know it is the will of heaven, and for thy benefit. Do not deceive me: said Mathilda. I will not marry Frederic until thou commandest it.--Alas! What will become of me? What that exclamation? said Hippolita. I have promised thee to return--ah! my mother, replied Mathilda, stay and save me from myself. A frown from thee can do more than all my father's severity. I have given away my heart, and you alone can make me recal it. No more: Said Hippolita... (p.155))

 
・・・まったく「エエ姦しい」である。おまけに訳文は原文より相当にテンションが高く、読んでいて疲れる。なんと第四章では女たちのこういう会話が10ページ位続くのである。まあ事の深刻さは分からないではないが、もし近くでこんな感じで女三人にまくしたてられたらさぞやたまらんだろうと思う。女どうしの会話といえば、あと第二章の中ごろにあるお姫様(マチルダ)と侍女のビアンカとの掛け合いも絶妙、というか抱腹絶倒であるのだが、くどくなるので引用は割愛(牧神社版のp.55前後)。

こう挙げていけばきりがないが、まあかくの如く登場人物ことごとくキャラが立ちまくり、皆が皆「ヤイヤイ」とか「ああソレソレ」とか「アイヤ侯爵どの」とか躁病ぎみに喋りまくるものだから、実をいうと肝心の幽霊の影は薄い。いやまあ幽霊が影が薄いのは当然だが、ラストに出てくる巨大な甲冑にしても、この平井版現代語訳では、原作者ウォルポールが意図した効果をあげているかどうかはすこーし疑問のような気がする。むしろワイルドの「カンタヴィルの幽霊」に通ずる滑稽味がはからずも出てしまったと感じてしまうのはわたしの僻目であろうか。