ゴシックよもやま話(2)『吸血妖魅考』  ISBN:4480087826

最近文庫版も出た日夏耿之介『吸血妖魅考』は、日夏自身が序で記している通り、門下の太田七郎らの助力に負うところが少なくなかったらしい。またその内容もモンタギュー・サマーズの吸血鬼関係の二著の祖述(翻案)であるという。それならばこの本には日夏の著作としての価値はないであろうか? もちろんそんなことはない。今日はこの書の魅力の一端を拙豚なりに解き明かしてみよう。

サマーズの原著と日夏の『吸血妖魅考』を対照すると、吸血鬼という現象に対する両者のスタンスの相違がわかる。おそらくは真正ビリーバーであったサマーズと比較すると、日夏はより合理主義者であった。彼が吸血鬼伝説に心酔するのは、そのような民間信仰に「古代人の心性」を見ることができるからであったからで、その意味では彼のスタンスは民俗学のアプローチと近接しているといえるだろう。日夏がサマーズの著作を評していわく「教条二オモネリ乱離統ベガラク未ダ批判ノ書トナシガタキ節アルヲ欠陥トナスモノトス」つまり頭が固く、体系と批判精神に欠けているのは困ったもんだと。かくのごときボケのサマーズに対して日夏が時折入れる、と学会を彷彿とさせるツッコミが、この『吸血妖魅考』をひときわ楽しいものとしているのである。

実例で見てみよう。例えば『魔女の槌 Malleus Maleficarum』の中の一エピソード、悪魔が聖者シルヴァヌスに化けて貴婦人を誘惑するくだりだが、サマーズの原文にはこうある。

翌日悪魔は消えうせたが、聖者の名声は激しく傷つけられた。しかし悪魔が、聖者の姿に化けてやった行為だと聖ヒエロニムスの墓前で告白したので、その汚名はすすがれた。
On the morrow, therefore, the devil had disappeared, the holy man was heavily deframed; but this good name was cleared when the devil confessed at the tomb of S.Jerome that he had done this in an assumed body.(Aquarian Press版p.92)

ところが、日夏翻案では最後にツッコミのフレーズが入る。

是は吸血型の妖鬼が人に化ける一例であるが[…]「變化壓滅論(マレウス・マレフィカルム)」第二部第一問第十一の所に、悪魔シルヴァヌス上人に化けてさる貴婦人に淫行を働かんとしたという一段がある、一時上人の名声は地に墜ちたが、悪魔がジェロオム尊者の墓前にて真実を懺悔したので罪は霽れたと云うが、名にし負う中世期の坊主、何んな事をしたか知れるものではない。(牧神社版p.190)

……この赤字の部分は、あまりにオヤジな突っ込みだと諸君は思うだろうか? 拙豚は日夏の合理主義の発露と考えたいのだが……では次のハールシンギのくだりはどうだろう。ふたたび拙豚のまずい訳で恐縮だが、まずサマーズの原文を掲げる。

一般にハールシンギ*1と呼ばれている夜行者についてマップが書いているが、彼らは幽霊の群れであって、その中にはずっと以前に死んだはずの者が多数混ざっているそうだ。ただ吸血鬼の性を顕したとは記録されていない。[…]ブリタニーではかって、夜中に戦利品の荷を負い黙々と歩む兵士の長蛇の列が見られたということだ。ブルトンの百姓たちは、そこから馬や牛を盗み、自分のものとした。それでも何のたたりもないこともあったが、ときにはそのような百姓はたちまち死に至った。
(The troops of night-wonderers, commonly called Herlethingi who are mentioned by Map, seems to have been apparitions amongst whom "there appeared alive many who were known to have been long since dead,but it is not recorded that they exercised any vampirish qualities.[…] In Brittany there used to be seen at night long trains of soldiers who passed by in dead silence conducting carriages of booty, and from these the Breton peasants have actually stolen away horses and cattle and kept the for their own use. In some case no harm seems to have resulted, in other instances this was speedily fillowed by sudden death...(Aquarian Press版p.97)

この部分は『吸血妖魅考』ではこうなっている。

マップは亦通常ハールシンギと呼ばれる夜行妖鬼群の事を録して居るが、其の鬼群中には既に死んだと思われて居るものが、再生して加わっている連中もある相だ。然し別に吸血鬼みたいな真似はせぬらしい。この鬼群は深夜粛々と行列するので、ブリタニイの百姓杯は此の行列から馬や牛を掻払った相だ。幽霊の上前をはねる奴は恐らく是を以て嚆矢とする。(牧神社版p.194)

サマーズの原文のうち、赤字の「たたりじゃ〜」の部分が割愛され、その代わり「幽霊の上前」云々の愉快なコメントが追加されている。

このように『吸血妖魅考』は、サマーズの原著よりは数段楽しい読み物になっていることがお分かりだろう。これはやはり門下生ではなく、日夏本人の功績ではなかろうかと思う。

*1:「夜の天空に死者達の行進を率いた」Herlekingと同じものであろうか