ゴシックよもやま話(4)『「モンク・ルイス」と恐怖怪奇派(小泉八雲)』

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、1896年から7年間にわたり東京帝国大学教授として英文学を(もちろん英語で)講義していた。その講義録が恒文社版新著作集の6-13巻に収められている。全15巻の新著作集の過半を占めるという大変な分量であり、自らの知見をあたうる限り学生に伝えようとしたハーンの誠実さが窺える。当時の学生の間での人気は凄かったらしいし、由良君美や高山宏など、現在でもその見識を高く評価する人がいる。また米国にも「コールリッジに匹敵する大批評家」として独自にその講義録を編んだアースキンのような人がいる(もっともその講義録をエドマンド・ゴスは半ば揶揄するような調子で書評しているのだが*1)。

このエッセイ『「モンク・ルイス」と恐怖怪奇派』もそうした講義の筆録がもとで、恒文社新著作集でいえば第10巻「英文学畸人列伝」に収められている。今度の「伝奇ノ匣」では平井呈一訳によるバージョンが収められるそうで、非常に楽しみである(というか、平井訳があったというそのこと自体が驚きであった)

しかし、この講義(あるいはエッセイ)では、ゴシック小説全般に高い評価は与えられていない。代表的なゴシック小説六作を挙げたあと、読むに値するのは「フランケンシュタイン」一作のみであるとか書いてある。また「英文学史」(第11巻)にも、「オトラント」や「ユドルフォ」は今では子供の読み物(Juvenile)となってしまったなんてことが書いてある。(ハーン自身も少年時代「ユドルフォ」を愛読したそうだ)

このような否定的評価は、正統的な文学観を教えなければならないという講義の制約のためであったろうか? そんなことはない。上記著作集を通読すれば分かるが、ハーンはそういった義務感とはほぼ無縁であった。彼の講義は萌えるべきところできちんと萌え、萎えるべきところできちんと萎える、いわば全人格をもってした講義であった。だから、彼がゴシックを腐すとき、本心からそう思っていたことは間違いない。

で、そのような否定的評価のよってきたるところは何か? ということを考える上で、このエッセイの終わりの方、ブルワー・リットンを称揚している部分が大きなヒントとなると思う。なぜハーンはゴシックを貶めリットンを称揚するのか。ハーンがリットンを褒め称えているのを読むと、自分はやはり工エエェェ(´д`)ェェエエ工と思わざるを得ない。「ザノーニ」みたいな悪い意味でバロック(言葉数の割に内容が乏しい)、悪い意味でヴィクトリアン(ブルジョワ的通俗メロドラマ趣味)な小説は拙豚がどちらかと言えば苦手とするところのものである。それにしてもなぜにリットン?

それには二つ理由があるように思う。

一つは怪談を評価する視点である。ゴシック小説の流行が終焉(19世紀前半)してからハーンがこの講義を行う(1899年)までの間に、心霊学や民俗学など、怪談を捉える視座は大転換を遂げた。そのような転換を意識して書かれたリットンを読んだ目でゴシック小説を再読すると、古色蒼然として見えるのはいたしかたない話であろう。ハーンはスペンサーに傾倒していた一種の進化論者であったからして、ゴシックは滅ぶべき前世紀の遺物と思っていたのかもしれない。

もう一つは、ハーンの文学趣味のバックボーンが、彼とほぼ同時代に殷賑を極めていたヴィクトリア朝文学観にあったのではないかということである。拙豚が今の目で見て「うわーきっついなー」と思ってしまう文章も、割と自然体で読めたのではないだろうか。

マリオ・プラーツは、彼のルイス論の冒頭で、「マンク」が1796年に初版が出て以後、ほとんど忘却されてしまったことに触れている。ハーンのこのエッセイはこのプラーツがいう忘却期間「ゴシック冬の時代」の一ドキュメントとして面白い文章であると思う。また、この第10巻「英文学畸人列伝」にはハーンのベックフォード論も収録されていて、こちらも面白い。「ヴァテック」の好きな人には一読を乞う。

*1:「『シャグパッドの毛剃』の話を黄色い顔の学生がどんな顔をして聞いたのか、想像するだに愉快である」とか書いてある