『似非エルサレム記』

 
面白かった!

浅暮氏のこれまでの本は、何冊かトライしてみたものの、どうも波長が合わず途中で放り出したままになっているのだが、この新作は息つく間もなく一気に読んでしまった。

それにしても、なぜこの物語はこんなに面白く、また感動的なのであろうか。以下にその理由と思われる点を書いてみるが、この本を未読の人は、このような駄文など読まず白紙の状態でこの傑作に向かった方がいいと思う。

一つ目の、そして最大の原因は、この一見軽妙な物語には、おそらく作者の全人格が投入されているからであろう。まあ要するに、「なんでも不定期日記」 でおなじみの、MYSCONやSF大会に出没する等身大のグレさんが、聖地エルサレムや黒犬ブラッキーに化身してそこにいるのだ。

二番目は、荒唐無稽な設定の圧倒的なリアリティである。ちょうど(例えば)小野不由美『屍鬼』を読んでいる間は吸血鬼の存在に何の疑いも抱かないように、この本の読書中は、聖地エルサレムが動くという、文字通り驚天動地の事件に何の違和感も持たなくなってしまうのだ。それどころか、いつのまにか、「ガンバレガンバレ」とエルサレムを必死に応援しはじめてしまったりもする。このリアリティが何によって醸成されているのかというと、一つには各国首脳の対応が、いかにもこういう場合にはこういう手段を取りそうに最もらしく描かれている点と(もっともアメリカはもっとえげつない手を使いそうな気もするけれど)、あとドキュメンタリーを思わせる素っ気無い文体の効果だろうか。(生真面目な表情で大ボラを吹くという例の技ですね)

三番目は、忘れかけていた初期日本SFの面白さの感覚が蘇ってくることか。例えばイスラエルを巡る国際情勢を茶化しまくるところは小松左京の初期作品(たとえば『エスパイ』)に匹敵する面白さ、それもゲラゲラと笑い転げたくなるたぐいの面白さだし、また、大団円の全身が開放されるような感動は、筒井康隆の傑作中篇『幻想の未来』のラストと響きあっているようではないか。ああそうだ、そういえば原初SFはこんな風に面白かったのだなあ、と久しぶりに思い出してしまった。