『稲生モノノケ大全 陰ノ巻』を読む前に(3)聖侯爵の影 ISBN:4620316490


・・・えーまあこのようにして、「いのもけ」が出るまで、「ゴドーを待ちながら」よろしくむだ話を続けていくわけなのであるが、それはともかく、「稲生物怪録」と「草迷宮」との構成上の顕著な違いは、「物怪録」では化物屋敷の中で物語が終始するのに対して、「草迷宮」では前半は屋敷の外で物語が展開することであろう。「草迷宮」で舞台が秋谷屋敷に移るのは、全四十五章のうち、二十一章以降なのである。
しかし、澁澤龍彦が正しく指摘しているように、これは単なる見かけ上の相違にすぎない。「草迷宮」においても、すべての時空間は秋谷屋敷に収斂していくのである。換言すれば、「草迷宮」の物語世界では全ての時空間が秋谷屋敷なのである。その証拠に、開巻まもなく、われわれは葉山の海岸に魔物の跳梁するのを目の当たりにするであろう。

一夏激しい暑さに、雲の峰も焼いた霰のやうに小さく焦げて、ぱちぱちと音がして、火の粉になつて覆れさうな日盛(ひざかり)に、是から湧いて出て人間に成らうと思われる裸體(はだか)の男女が、入交りに波に浮んで居ると、赫とただ金銀銅鉄、眞白に溶けた霄(おほぞら)の、何處に龜裂(ひび)が入つたか、破鐘(われがね)のやうなる聲して、
「泳ぐもの、歸れ」と叫んだ。     (鏡花全集巻十一 p.171)

まさしくこの世界は出口なき迷宮である。「眞白に溶けた霄(おほぞら)の、何處に龜裂(ひび)が入つたか」なんて描写をされると、無窮であるはずの青空さえ、なんだかわれわれの頭上に覆いかぶさる有限のドームのように見えてくるではないか。この「迷宮」を放浪する主人公葉越明について、「ランプの廻転」で澁澤は次のように言っている。

退行の夢とは、いわば出口なき迷宮であろう。手毬唄を求めて日本全国を放浪しても、秋谷屋敷の魑魅魍魎の総攻撃を受けても、明の側に、一人前の大人になろうという意欲が根っから欠けている以上、それは結局のところ、永遠の堂々めぐりに終わるしかないらしいのだ。ヨーロッパの聖杯伝説の系統をひくロマン主義小説の主人公ならば、たとえば「青い花」に象徴されるような、何らかの形而上学的な観念を求める旅の果てに、ついに新しい人間として生まれ変るというようなこともあり得ようが、鏡花の小説の主人公の場合、そういうことは決して起こらない。(河出文庫版『思考の紋章学』p.23)

ところで澁澤たんはサドの「ジュリエット」について、これとほとんど同じことを言っている。

サド的な旅行には発展とか成熟とかいうものはなく、ただ反復される現在があるのみなのである。かつてモーリス・ブランショが述べたように、女主人公ジュリエットを中心にして眺めれば、そこには教養小説に似たニュアンスがいくらか認められないこともないが、結局のところ、誰にも教育できない犠牲者ジュスティーヌが永久にジュスティーヌであるように、ジュリエットも永久にジュリエットでしかないのである。旅行はそれ自体、一種の堂々めぐりであり、この堂々巡りの輪はだんだん小さくなって、最後には一つの城に凝固してしまうかのような塩梅なのである。サド的世界では、欲望の渦巻きの中心に常に城があると考えたらよいかもしれない。(青土社版『城と牢獄』p.19)

つまりシブサワ世界においては、明もジュリエットも同臭の「永遠の堂々めぐり」「成熟を拒否する」キャラクターなのである。
さてこうして聖侯爵の名が出たからには、「草迷宮」のラストシーンと好一対をなすサド獄中書簡の一節、ラウラの夢のくだりを引用せざるを得ないだろう。ペトラルカの『カンツォニエーレ』で不朽の名を残す絶世の美女ラウラはサドの遠い祖先であったらしい。

それは真夜中ごろだった。私は彼女の本を手にして、眠りに落ちたところだった。突然、彼女が私の前に現われた……私は彼女のすがたをはっきり見た! 暗い墓場から出てきたはずなのに、彼女の輝くばかりの魅力は少しも変ってはいなかった。その眼は、ペトラルカが称えた昔と同じように、まだ熱っぽく輝いていた。黒い喪服が身体全体をつつみ、美しい金髪がその上にすずろに波打っていた。愛の神が彼女をさらに美しくするために、私の目に映る悲しげな服装の全体をやわらげようとしているかのようだった。「なぜ地上で苦しんでいるのです」と彼女は私に問いかけた、「わたしのところへいらっしゃい。わたしの住んでいる無窮の空間には、不幸も悲しみも不安もございません。勇気を出して、わたしについてらっしゃい」この言葉を聞くや、私は彼女の足元にひれ伏して、「おお、私の母よ!……」と叫んだが、嗚咽で声がでなくなってしまった。彼女は私に片手をさしのべ、私はその手を涙でしとど濡らした。彼女もやはり涙を流してくれた。「わたしも昔、あなたの嫌いなこの世に住んでいたころ」と彼女は続けて言った。「好んで未来に眼を向けていたものです。あなたはわたしの遠い子孫ですが、そのあなたが、こんな不幸な目に遭おうとは、思いもよりませんでした」(筑摩書房『サド侯爵の手紙』p.33)