『ホラー・ジャパネスクを語る』(東雅夫・編) ISBN:4575234699


津原泰水氏との対談での、東雅夫氏の次の指摘には目から鱗が落ちた。

『妖都』における日本神話やマライ=ポリネシア神話のバックグラウンドに関しては、文庫版に山内秀朗さんが素晴らしい解説を寄せていらっしゃいましたよね。そういう汎アジア的に拡がっていく志向性は『トレチア』にも……

おお「汎アジア的」!、これでやっと焦点があったような気がするよ。あの『トレチア』の中の不思議な時間の流れは、不思議な空間の広がりは、そして後半に登場するとんでもないブツは、日本というよりアジアが舞台と考えれば、とても納得がいくものだ。例えば『トレチア』の舞台を、東京じゃなくて、シンガポールあたりに移してみても、さして違和感はないと思う。これがつまり東氏の言う「汎アジア的」ということならん。『蘆屋家』と『ペニス』が間に入っていたため、『妖都』との関連が見えなかった拙豚は大バカなり。この指摘は、マックス・エルンストを「汎ヨーロッパ的」と喝破した澁澤龍彦に匹敵するものならん。
では、何が津原氏を汎アジア的なるものに誘っているのだろうか。拙豚の直感だが、それは「楽器」ではないかと思う。氏の津原やすみ時代の愛読者は、氏があとがきで自らの弦楽器蒐集癖について、あるいは民族楽器について熱く語っていたのを覚えているであろう。

多少、役に立ちそうな蒐集物としては、楽器があります。
けっこう、いろいろと持っているほうではないでしょうか。
とくに、弦楽器は好きで、うまいかどうかは別にしても、ギターに、マンドリンに、ヴァイオリンに、コントラバスに、ベースギターに、電気ギターに、電気ギターに、電気ギターに……けっこう、ありますね。(『地球に落ちてきたイトコ』あとがき)

宇津保物語が示すように、あるいは正倉院の宝物が示すように、弦楽器とは日本人を汎アジアなるものへ召還する一種の呪物なのである。実際、宇津保物語の茫漠とした空間、現実と幻想の混交、そして意表をつく展開は、『トレチア』とそれほどかけ離れたものではないと拙豚は思うのであった。