『神の植物・神の動物』(ユイスマンス・野村喜和夫訳)

 
この本はユイスマンスの大長編「大伽藍」から第10章(神の植物)と第14章(神の動物)を抜粋して一冊にまとめたもの。ちなみに、これらの章は出口裕弘訳の「大伽藍」(平凡社ライブラリー)では割愛されている。

この「大伽藍」という小説は小栗虫太郎でいえば「黒死館」にあたる。実際、ユイスマンスと小栗とは、文章を絵筆のように使うヴィジョナリー(幻視者)志向、それからオブジェ/博物誌への偏愛、それからもちろんオカルト・神秘好き等等、共通点多々ある。

「大伽藍」で法水麟太郎の役をやっているのがプロン神父という食えない坊主で、第10章では、こいつがもう法水ばりに、やくたいもないペダントリーを喋る喋る。しかもこの人の話はどこまで真面目なのか分からず。真剣に信仰に悩むデュルタル(主人公・作者の分身)を嘲弄しているような感じもするのはこちらの僻目でだろうか。「動物のお医者さん」で言えば、デュルタル=ハムテル、プロン神父=漆原教授、ジェブルザン神父=菅原教授みたいな感じか。

第14章では、カトリックの象徴的動物誌の煩雑さに悩むデュルタルに向かって、「ラミア(レイミア)はふくろうのことですよ。ユニコーンは牛ですな。なにベヘモス? ありゃカバのことですよハッハッハッー」とか言って軽くいなす法水、じゃなくて漆原教授、じゃなくてプロン神父が印象的。なんとなく芥川龍之介『歯車』の一挿話のようでもあり。もしかして芥川はここからパクったのかとも思う。

これら2章に限っては、形而上学とか神秘神学とかいう小難しいものは薬にしたくてもないと思う。どちらかと言うと、アルチンボルドの絵のような偏執と紙一重の諧謔味のみが充満する楽しい読み物である。

訳文は原文のユーモアをうまくすくいあげているような気もすれど(とは言うものの拙豚は原文を読んだことはない。また読んでも分からないだろう)、比較すればやはり、格調の点で出口訳に軍配があがるだろう。この本だけでも楽しめはするが、前掲の出口訳との併読をお勧めする。関連する作品として澁澤龍彦「ドラコニア綺譚集」のなかの「かぼちゃについて」もおすすめ。