泰平ヨン最後の事件

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 大方の予想を裏切り快調なペースで刊行が続くスタニスワフ・レム・コレクション。早くも第二回配本として今回一番の目玉ともいえる『地球の平和』が出た! いうまでもなく泰平ヨンシリーズ唯一の未訳作品である。

 この作品には『大失敗』のようなハードSF的な側面もペシミスティックな風刺もある。しかし泰平ヨンシリーズの当初の路線であった宇宙のホラ吹き男爵譚として読んでも十二分に面白い。というか私のような軽薄な読者にはそういう読み方しかできない。「月面で兵器が自動進化しすぎて何がなんだかわからなくなった」と言われても、「そりゃ大変だ」と思うより「そんなアホなことあるかいな。ホラもたいがいにしときや」と思うタイプである。

 本書にはおなじみの盟友タラントガも出てきてSF的奇想の大盤振舞がくりひろげられる。「おおやっとるやっとる。相変わらずドタバタ劇をやっとるな」みたいな感じでうれしくなる。プロットはドーキー・アーカイブで昔出た『虚構の男』を思わせるところもある。どちらもスパイ小説のパロディをめざしているからだろうか。

 ときにはストーリーの邪魔をしているとさえ感じられる奔放多彩なアイデアの氾濫のため、人によってはゴテゴテしすぎだと思うかもしれない。だがこれこそがレムなのである。これこそが「おお、俺は今猛烈にレムを読んでいる!」という感涙に万人を誘うのである。一番驚いたのは1984年執筆の段階でコンピューター・ウィルスめいたものがすでに登場していて、終盤で物語の主役となるところか。ちなみにこのウィルスは人間が作ったものではない。機械が自ら学習して作ったものである。これが現実になったら、人類になすすべはなく、この小説のラストシーンのようなことが本当に起こるかもしれない。

 ところでいわゆる特殊設定ミステリといわれるものが日本では大量に書かれている。そのせいかどうか、これもまた特殊設定ミステリのような気がしないでもない。「『ヒュパティア』に続いてまたかい!」とあきれられるだろうけれど、少なくともこれが記憶喪失ものミステリのひねった形であることは疑いようがないと思う。正確には記憶喪失ではなく、右脳と左脳をつなぐ脳梁を切断されたため、右脳に蓄えられた記憶が、言語をつかさどる左脳に伝えられなくなったのである。そのため月世界で脳梁を切断されてからしばらくの間の記憶がヨンにはいっさいなくなってしまう。これが物語のキーポイントになっている。