フィッシャーマン 漁り人の伝説

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 『幻想と怪奇』叢書第三回配本『フィッシャーマン 漁り人の伝説』を新紀元社から恵贈賜りました。ありがとうございます。さっそく新年最初の読書として堪能しました。

 二〇一六年に発表されたにもかかわらず、まるで昔の小説を読んでいるような悠々とした筆運びがありがたい。

 エピグラフとして最初に『白鯨』からの引用、それに続く本文最初の行に「私をエイブラハムとは呼ばないでもらいたい」という『白鯨』のもじりがあって、ははあこれは白鯨風の物語なんだなと思っていると、果たして、おしまいに近いところで白鯨を思わせるシーンが出てくる。しかも相手はモービー・ディックよりずっと手ごわい。作中人物の一人が語るところによれば、神による世界創造以前からいた怪物であるという。すると旧神とか旧支配者とかいわれるものの仲間なのか。

 そんなのがニューヨーク近郊、ハドソン河の支流に出現するというのがすごいが、丹念な描写の積み重ねは、超自然的な雰囲気を次第に醸成していって、それをさして不自然とは感じさせない。さすがはブラム・ストーカー賞受賞作である。

 だが主人公はエイハブ船長の役回りは勤めない。これがおそらく最初の一行、「エイブラハムとは呼ばないでもらいたい」でほのめかされているのではないか。だがそれにもかかわらず『白鯨』と同様、本作には「釣り」という行為の根源的な意味について考えさせられるものがある。趣味として釣りを楽しんでいただけの者が、釣り仲間から穴場に行こうと誘われたばかりに、「釣り」どころではない「釣り」を体験するはめになるのだから。タイトルの『フィッシャーマン』はよくつけたものだと思う。

 さらに本書はゾンビテーマの変奏かもしれない。たとえば『ペット・セマタリー』では、可愛がっていた猫を蘇生させるエピソードを発端として恐ろしいことが次々に起こるが、それを思わせるものが本作にもある。ただゾンビと言い切れないのは、生き返ったものたちは、それを願望する者の幻影にしかすぎないと強くほのめかされているところか。
 
 それから『インスマスの影』を思わせるシーンもあるし、最終パラグラフに描かれた情景はウィリアム・ブレイクの『神曲』挿絵を思わせる。たとえばナボコフの『ロリータ』がそうであったような、さまざまな本歌取りを感じさせる、文学的にも凝った佳品だと思う。