ライバルはバベルの図書館

ちょっと必要があってスタニスワフ・レムの『神はタオイストだろうか』を引っぱりだしてきた。

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これはレム自身の著作ではなく、レムの編んだ幻想小説アンソロジーである。このドイツ語版は1988年に出ているが、ポーランド語版も出ているかどうかはよくわからない。

こういったアンソロジーは偉い人が序文だけ書き、作品選択は人に任せることもあるようだが、この本に限ってそれはありえないと思う。選択がユニークすぎるし(たとえば巻頭を飾るのはバートランド・ラッセル『有名人の悪夢』からの二編)、編み方がいかにも素人くさい(たとえばレスコフの長篇『魅せられた旅人』が全体の半分以上を占める)から。

ところでレムというのは人も知るように、何を言うにしても毒を吐かずにはすませられず、いったん毒を吐きだすと一ページでも二ページでも、場合によってはそれ以上毒を吐き続けるという難儀な性格を持っている。たとえばSF論の大著『SFと未来学』は読むのがイヤになるほど罵詈雑言に満ちていて、ああこれじゃ除名したくもなるわな、とアメリカSF作家協会の人たちに同情を禁じ得ないくらいだ。

この『神はタオイストだろうか』の序文もまったく例外ではない。ここではボルヘスの幻想小説アンソロジー『バベルの図書館』を槍玉にあげ、百科事典的に浩瀚すぎ、おまけにほとんどの作品は最後まで読むに耐えず鬱になる、と悪態をつき、最後に言い訳のように「だからといってボルヘスのアンソロジーは価値がないと言うつもりはない。わたしの言いたいのはただ "De gustibus non est disputandum" (蓼食う虫も好き好き) ということだけだ」などとのたまう。あのう、それは、ほとんど「価値がない」と同義なのではないのでしょうか? 

いやそもそも、自分のアンソロジーの序文で他人のアンソロジーの悪口を言うというのは人としていかがなものか。アンソロジストとしての腕前という点からすれば、ボルヘスとレムには大人と子供くらいの差があることは誰しも認めざるをえないというのに。

なぜこんな話を長々としたのか、なぜ今どきレムのアンソロジーなどを引っぱり出してきたのか。それはたぶん四月くらいには明らかになると思います。乞うご期待(って何を?)