アシモフと城平京

 
クラシックミステリがそうであると同様、クラシックSFにも他に代えがたい魅力がある。これには個々の作品の力に加えて、時代思潮の力もあずかっていると思う。すなわちミステリにしてもSFにしても、ジャンルが高潮してピークに達したときには、後世ではけして再現できない、唯一無二の光輝が作品に備わるもののようだ。

そのクラシックSFのなかでもアイザック・アシモフが好きだ。アシモフのよさは――という前にまず発音表記についてひとこと。近ごろは「アジモフ」と書くのが主流のようだけれど、これにはどうもなじめない。「ジ」の音が汚くていやだ。せめて「アズィモフ」としたらどうだろう。それに英米人の発音だって必ずしも一定してはいない。手元の辞書(ジーニアス英和大辞典)を見ると、なんと四通りもの発音表記が載っている。すなわちアザマーフ、アザモーフ、アズィモフ、アスィモヴ。とてもこの四人が同一人物とは思えない。いかに世間がいろいろと適当にこの人の名を発音し、そしてアシモフ自身がそれらすべてを寛大に受けとめていたかということが如実にうかがえるではないか。だからここで「アシモフ」と書いても、アシモフはきっと許してくれると思う。

そのアシモフのよさのひとつは、新本格を思わせる独特のロジックを用いることだ。典型的には例の「ロボット三原則」がある。これは今で言えば西澤保彦の作品みたいな、独自のルールを作品に規定する手法の遥かな先駆である。他の魅力についてはまた別に書く折もあるだろう。

そういうわけでときどき思い出したようにアシモフを読み返す。現にいまも創元推理文庫の『銀河帝国の興亡2』を読んでいる。厚木淳の訳文は半世紀近く前のものだが、全然古びておらず、格調が高くて、たいへん楽しく読める。

ところでこれを読んでいるうちにはじめて気がついたことがあったのでメモ代わりにここに書いておこう。例によって枕が長くなってしまったが、実はここからがこの文章の本題である。この『銀河帝国の興亡2』は「第一部 司令官」「第二部 ザ・ミュール」と二部構成になっている。しかしストーリーとしては互いに独立していて、連作と考えることもできる。

ところがどっこい、実はこの二つはロジック的につながっているのだった。どういうことかというと、この本のメインは第二部にあるのだが、その第二部のミソを読者に納得してもらうためには、その前に一見関係のない第一部を置くことが効果的なのである。それは城平京『名探偵に薔薇を』における二部構成の手法とパラレルである。ここにも新本格の先駆としてのアシモフの顔が覗いていた。