シュレーディンガーの辞書

 今度出る『アンチクリストの誕生』には、すでに前川道介氏による既訳のある「月は笑う」が入っています。でもこれは単にいきがかり上そうなっただけで、既訳に不満があるとかそういうことではまったくありません。その点はくれぐれも誤解なきようお願いします。だから「新訳」とかいうのもおこがましくて、あえていえば「別訳」とでも称すべきものであります。これは前にも書きましたが西崎憲さんはボルヘスの既訳にあきたらず、改訳の機会を虎視眈々とうかがっていると聞きましたが、そういうものでは全然ないのです。

 といってもピエール・メナールのドン・キホーテみたいなわけにはなかなかいかず、違う人が訳せばやはり違うところが出てきます。とくに短篇のような情報量の少ないテキストでは、文章の意味がすべて一意に定まるというわけにはいきません。そんなときは複数の選択肢のうちからエイヤとひとつ選ぶという決断を迫られます。

 「月は笑う」でいえば、医者のお爺さんが出てくるところで、前川氏訳ではお爺さんが「がさつな洒落」を言ったというところが、わたしの訳では「品のない冗談」になっています。でもこれはどちらが正しくてどちらが間違っているという話ではないのです(たぶん)。

 もとのドイツ語は"derber Scherz"ですが博友社の相良守峯編大独和辞典でScherzのところを引いてみると、まさにこの"derber Scherz"が例文として載っています。


無粋な洒落

 これを見て「ホレ見んしゃいやはり前川訳が正しいじゃないか」と思うのはちと早計です。今度はderbのところを引いてみましょう。するとやはり"derber Scherz"が例文として載ってこう書いてあるのですよ。


みだらな冗談

この辞書は他にもいろいろトラップのある面白い辞書で、いうならばきまぐれに開いたページによって言葉の意味が変わるシュレーディンガーの辞書であります。

 さてこんな場合、この爺の医者は下ネタを言う爺なのか、それとも空気を読まない洒落を言う爺なのかを一瞬のうちに判断し、訳語を決定する必要に迫られます。でもそのための手がかりはほとんどありません。もっともどちらにせよアホくさいことを言っているのは確かなので、真面目に悩むのもばかばかしいようなところですが……。わたしは「この爺はぜったい下ネタ言う!」と直感して前述の訳語にしましたが、もしかしたらこういう判断には、訳者の品性が反映しているのかもしれません。しかし今はそこまでは問わないでおきましょう。

 ちなみにこのシュレーディンガー辞書のもうひとつ面白いところは、『日本国語大辞典』にもない珍妙な言葉が訳語に散見されるというところです。うっかりそのまま使うと校閲の方々に黒々としたクエスチョンマークをつけられたゲラが返ってきます。

 これはたぶん、適切な訳語が従来の日本語にないときはみずから造語するという森鴎外以来の伝統が、この辞書の編纂時くらいまでは連綿と受け継がれていたためではないかと思います。でもこうした気風も、芳賀檀(「信従」という言葉をつくった人)あたりを最後にして後を絶ったみたいです。ドイツ文学者が日本語を背負って立つという気概を失ったという意味では、もしかしたら嘆かわしいことなのかもしれません。それとも言葉のセンスのない人に背負って立たれて迷惑だったのでしょうか。