明石マジックリアリズム


ジャズピアニストの佐藤充彦が評論家後藤雅洋との対談でこんなことを言っている。

あとおかしいのはジャズ・クラブでやってるときの電話(笑)。あれって不思議にいいところにかかってくるんですよね(笑)。それからビル・エヴァンスの「ヴィレッジ・ヴァンガード」のライヴで、食器の音がするじゃない。カチャカチャって。あれがまたいいところに入ってます。あれがフリーの精神ではないかと。(後藤雅洋対談集『ジャズ解体新書』)


この前明石の「ですぺら」にお邪魔したときにも似たことがあった。店ではBGMとしてそのビル・エヴァンスジム・ホールのデュエット「アンダーカレント」が流れていたが、それにかぶさるように、上の店からカラオケの野太い歌声が響いてくる。それが妙にBGMに調和して、珍酒の味わいをいっそう陶然とさせるのだった。
でもいま思い返してみると「アンダーカレント」の丁々発止の掛け合いが、間延びした素人の歌声と合うはずはない。やはりあれは明石という土地にしかなしえないマジックだったのかもしれない。

明石というのはじっさい不思議な町なのである。駅の前に申し訳程度に建っているビル群を抜けると、道路の向こう側には、いつ海岸に遷移してもおかしくないような、蜃気楼めいた景色がノペーとひろがっている。「魚の棚」という謎の看板がかかったアーケードが横方に広々と延びていて、そこを通ると、右からも左からも、イボイボのついた赤い触手がオイデオイデ・コチラニオイデと誘いかけてくるのだ。
なおも進むとまたまた雰囲気はがらりと変わり、あやうく「狭斜の巷」と形容してしまいたくなるような、いかにも一癖ありげな店の居並ぶ一廓に迷い込む。その角を曲がったところが目的地「ですぺら」だった。
赤坂見附時代の店主のホスピタリティは依然健在で、われわれはいまどこにいるのかを忘れかけた。いや今思い返しても夢かうつつかわからない不思議な一夜だった。ある短篇の一節をもじると「わたしがこの話をすると、時々、おまえは明石なんかへ行ったことはないじゃないかと、親しい友だちに突っ込まれることがある。そういわれてみると、わたしはいつの何日に明石に行ったのだと、ハッキリ証拠を示すことができぬ。それではやっぱり夢であったのか」