宿命の姉妹

昨日はM.S.氏*1全集編纂委員会(仮称)の末席をけがし、神保町の片隅で三時間あまり談論風発。そのとき聞いた話なのだが、西荻窪の盛林堂は『マルセル・シュオッブ全集』を七十部売ったという。すごいなー。いかに特典つきとはいえ、一店でこれだけ売るとは、古書ドリスのヒュアキントスに次ぐ快挙ではないか。いやいや、総売上金額で見れば、こちらのほうが勝っているかもしれない。西荻パワーの底力を知った思いだ。

そしてシュオッブ全集を購入した人は、一シュオッブに満たない値段の書物はさして高いとは思えなくなる。というわけで、工作舎から新たに第二期としてスタートした『ライプニッツ著作集』も、特に抵抗なく買った。二十年?くらい前に完結した第一期著作集では、竹田篤司先生のライプニッツ書簡の大胆不敵な訳しぶりにぞっこん参ったものだ。そして一気に熱烈な竹田ファンになり、著作や翻訳を買い漁ったのも今では懐かしい思い出となってしまった。

だが竹田先生はとうに鬼籍に入られ、もうあの訳文は望むべくもない。にもかかわらず、この第二期著作集に収められた書簡もなかなか読ませる。特にゾフィーとの往復書簡。このゾフィーは、例のフランシス・イエイツ『薔薇十字の覚醒』で主役をはったボヘミア王フリードリヒ五世とその妃エリザベスとの第十二子にあたる。そして少し前に講談社学術文庫で出た『デカルト=エリザベト往復書簡』のエリザベトはゾフィーの十二歳年上のお姉さんである。つまり必ずしも仲がよいとはいえなかったデカルトとライプニッツのそれぞれと、この姉妹は書簡を交わしていたわけだ。いわば宿命の姉妹といえよう。

ところでデカルトとライプニッツを分かつものは何か。私見では、「無限」というものにどうしようもなく魅入られてしまい、そこから目を離せないのがライプニッツで、「無限」に無関心なのがデカルトだ。ライプニッツが微積分を発明したのだって、「モナド」という概念を考案したのだって、この無限好きのなせるわざだと思う。そうした無限耽溺者の様子が、この往復書簡からはヒシヒシと伝わってくる。同じ無限耽溺者としては、まことに共感を禁じえない。

*1:偶然イニシャルは同じだけれど、マルセル・シュオッブではありません。