魔法の角笛

クローヴィス物語 (白水Uブックス)

クローヴィス物語 (白水Uブックス)


聞いた話によると、抗生物質というのは本来は菌を退治するはずなのだが、そのうち菌に耐性ができて効かなくなるという。そこで新たな抗生物質が開発されるが、やがてそれにも耐性を持つ菌が現れるのだそうだ。すなわち抗生物質が強ければそれだけ菌も強くなる。同じように、支配階級の面の皮が厚ければ厚いほど、本書みたいな風刺作品の棘はますます刺々しくなるはずだ。どちらが菌でどちらが抗生物質かという問題はさておくとしても、この国この時代のオホホの園の厚顔はさぞ手ごわいものであったのだろうなというのが、本書の刺々しさを通してなんとなく思いやられる。
今回の訳はこの厚顔と刺々しさとがよく出ている。こころみに短篇「エズメ」の最初のほうをちょっと引用してみよう。男爵夫人とクローヴィスとの対話だ。(茶色の字は拙豚の注釈)

「……貧乏な方がかえって所帯がひとつにまとまるわね。そうはいっても狐狩り用の猟犬群だけはめいめい別立てにしていたけど、まあそれは本題ではないし」(貧乏といいながらも実は自慢。天然なのか)
「集合はまだですか」クローヴィスが尋ねる。「したんでしょ、たぶん」(自慢はやめてさっさと本題に入れ、とせかしている)
「しないわけないでしょ。常連ばかりよ……」(普通なら「あらごめんなさい」とか言うのではないか。非難されたとは思ってないのか。天然は強し)


本書が出たのは1911年だが、ほぼ同じころ、『ゴーレム』のグスタフ・マイリンクも毒気のある風刺短篇をさかんに書いていた。50篇あまりのそれらの作品はのちに『ドイツ俗物の魔法の角笛』というタイトルで集成された。英国でも大陸でも、菌と抗生物質は毒をもって毒を制す戦いをくりひろげていたとおぼしい。

ところでゴーリーというとなんだか宇宙猿人みたいな名前だが、そのゴーリー氏の描くクローヴィスはいたずら小僧がそのまま青年になったような風貌をしている。これはちょっと意外だった。「皮肉屋」とかそういう従来のクローヴィスのイメージは、もしかすると間違った理解だったのかもしれない。
そして和爾氏の訳文におけるクローヴィスの台詞も挿絵とシンクロして、いたずら小僧的で実によい。つまりこんな感じの口調なのだ。

「不静養ってさ」朝早くロンドンに戻る列車の中で、クローヴィスはつぶやいた。「せっかくやってあげても、これっぽっちも感謝されそうにないんだよね」(「不静養」)

興味ある方は既訳と比べれてみればその斬新さがわかると思う。
ということで、サキはもう読んだよ、という人も本書によってきっと新たな魅力を発見することだろう。事実拙豚はこの本によって、はるかな先祖――『狐物語』や『ティル・オイレンシュピーゲル』との類縁性に思いあたった。それまではラ・ロシュフーコーとかそちらのほうかと思っていたのだけど。