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胸の火は消えず (創元推理文庫)

胸の火は消えず (創元推理文庫)


たとえばH.R.ウェイクフィールドの書くものは良くも悪くも怪奇小説だけれども(「だからつまらない」と言っているわけじゃありませんよ。念のため)、メイ・シンクレアのはちょっと違う。だいいち彼女は、人を怖がらそうとかそういう不埒なたくらみとは無縁な気がする。しばしば揶揄される形容をあえて用いれば、彼女の作品は「人間が描けている」。それは本書巻頭の「胸の火は消えず」のヒロインの心の動きを読めば誰しもが肯うところだろうと思う。

といっても、むろん日本近代文学の人間の描き方とは自ずから違う。彼女の場合顕著と思われるのは、解説に「プラトン、カント、ヘーゲルの哲学を学んだ」とあるように、ドイツ観念論の影響だ。やはりヘーゲル哲学に入れあげたリラダンと一脈通ずるところがあるのではないか(例えば「ヴェラ」や「未来のイブ」)。つまり相手の男(あるいは女)に肉体があろうとなかろうと、畢竟たいした違いはないのである。

収められたとりどりの佳作のなかでも、やはり巻末の「希望荘」が絶品と感じられた(原題はLa Villa Desireeだから、 「希望」というよりはもう少し強いニュアンスがあるのかもしれない)。短篇小説としてかっちりまとまっているし、怪しのものが「ルイ! そこで何をしているの?」の一言で退散してしまうのも趣深いし、そして終盤の畳みかけ、なかでも最後の一行の余韻がすばらしい。平井呈一翁はこの短篇を「暗示のきいた、鬼火のような作品」と評しているが、それは主にこの最後の一行のことを言っているのだと思う。

こういう「魔性の夫」ものは青髭伝説からエリザベス・ボウエンまで数多あるわけだけれども、この作品でヒロインは単なる襲われ役ではない。太宰治の口真似をして言えば、「あいつ」と「彼」の使い分けに籠められたヒロインの心理の綾を、読者はそれぞれに味わうがよろしい。ここは、なかなか、よいところなのであります。*