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昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)


『ゆみに町ガイドブック』を読みはじめてまもなく、ちょうど雲マニアが登場するあたりで、遠くからチカチカとまたたくものを感じた。チカチカ? いや、それは光ではない、声だ。「ワタシヲ忘レナイデ……ワタシヲ忘レナイデ……」とモールス信号のようにまたたいている。遠くから? いや、遠くからでもない、広くもないわが家の本棚の一角からだ。

本棚というものは不思議なものだ。ときとしてそこに並べられた本よりも不思議なものだ。ちょうど霊魂が体内にはいって生命を宿すように、本も本棚に入って生命を宿す。だから図書館から借りた本はどうもだめだ。生命が宿る以前に返却期限が来てしまう。「流産」とか「中絶」とかいう言葉が浮かんでくる。

「ワタシヲ忘レナイデ……」と合図を送っていた本はオルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』だった。内容はほとんど覚えていない。だが、あるじが忘れた本も本棚は忘れていなかったわけだ。そんな馬鹿な!、と思う方はフランセス・イエイツの『記憶術』を読むがよい。"genius loci"という言葉があるように、locus(場所)とは記憶の宿るところだ。「この本はゆみに町に住むもう一人の人が書いた本ですよ」と、本棚は教えてくれた。