日本で重要な作家なのか

まだまだ続くビオイ日記。なにしろ1600ページ以上あるからねえ。

1957年8月19日(月)
 シルビーナが彼にアクタガワの短篇を読んできかせる。わたしの示唆によって「藪の中」からはじめて(ボルヘスは何年か前に見た映画「羅生門」で筋は知っていた)、次にわたしがとても好きな「袈裟と盛遠」、それから「鼻」。最後の話をボルヘスは大笑いしながら聞いていた。ストーリーに笑ったのではなく、小説そのものに笑っていた。「なんて話だ。まるで夢のようだ」 いつもならこれは誉め言葉だ、だが今は違った。彼にとってこれは夢のなかのようで、同時に馬鹿げていて、どうしようもない。彼は聞いてきた、「この作家は日本で重要な作家なのか」。

ビオイ=カサーレスが「袈裟と盛遠」が好きというのは実によくわかる! さすがは「モレルの発明」や「パウリーナの思い出に」を書いた人ではある。(そういえば国書刊行会からでるはずだった短篇集はどうなったのかな?)

この時点ではボ氏はあまりアクタガワに感心しなかったようだが、その後、ビオイの薫陶よろしきを得て(かどうか知らないが)、後にアクタガワ短篇集の序文さえ書くにいたる(上の画像の本にその英訳が収められている)。あとビオイと共編のアンソロジー『幻想文学傑作集』『傑作推理小説集』に短篇がひとつづつ入っている。

そうそう、唐突に思い出したけど、初めて読んだボ氏の作品は、ジュディス・メリルのアンソロジーに入っていた「円環の廃墟」だった……けれど全然感心しなかった。

アンソロジーがあまりにも粒よりで、他の作品が凄すぎて、さすがのボ氏も霞んでしまったということもむろんある。しかし荘子か何かの焼き直しにしか思えなかったのだった。

「こんなのが世界的に有名な作家なのか。まったく西洋人はこんなのにコロッとだまされてしょうがないなあ」と思って、それから何年かはボ氏の本は手に取ることはなかった。本格的にガツーンとやられたのは『異端審問』を読んでからだ。