どんな鞄?(2)

 
 『氷』のヴァリアント『マーキュリー』冒頭の引用句は、『恋の骨折り損』の最後のせりふからとられている――「アポロの歌のあとでは、マーキュリーの言葉も耳ざわりでしょう」(小田島雄志訳)。ここでマーキュリーとは、ジョン・ウィルキンス言うところの「隠密にして迅速な (secret and swift) メッセンジャー」――そういえばむかし、クイックシルバー・メッセンジャー・サービスというロックグループもいた。――事実、シェイクスピアのこの芝居では、一人の使者の知らせによって、あわやハッピーエンドになりかけた結末が一気にひっくりかえってしまう。故・中井英夫が愛好したところのPalinodeである。

 ではアポロの歌とは? ふたたび小田島雄志訳から引用すると、

こちら側がHiems、すなわち冬であります。そしてこちら側がVer、すなわち春であります。冬のほうはフクロウが、春のほうはカッコウがつとめます。では、春のほうから。
 
 歌
 
 春
まだらな雛菊、紫スミレ
白銀色のタネツケバナに、
黄金色したキンポウゲなどが、
色とりどりに牧場を飾ると、(以下略)
 
 冬
軒にも壁にも氷柱がさがり、
羊飼いたちはすることもなく、
ディックは薪を家まではこび、(以下略)

 
この歌と符丁をあわせるかのように、『マーキュリー』の段階では、まだ春(インドリ/レミュール)と冬(氷)は拮抗している。それどころか、氷は少女と彼女を追う男の二人が共有する幻想(内的風景)にすぎないかのような書きかたがされている。メッセンジャーたるマーキュリーが姿をあらわすのも(わたしが読み落としてないかぎり)二度だけだ。そして結末も軟弱に読めばハッピーエンドととれなくもない。

 しかし『氷』になるとそんな軟弱な読みはにべもなく拒絶され、世界は否定しようもなく氷で覆われていく。アポロの歌は申し訳程度にしかなくて、「耳ざわり (harsh) な」マーキュリーが跳梁する。

 『マーキュリー』はまだ小説として娯しめるが(正直なところを言えばわたしはこちらの方が好きだ)、『氷』は読者を死んでも行きたくないところ、できれば一生見たくなかったところまで連れて行く。まあそれだから傑作の名に値するのだけれども。