暗渠礼讃

 
足もとを見ればそこに太陽がある Je regarde sous mes pieds pour y trouver le soleil. と呟いた異国の人は誰だったろう。江戸城の堀端をぶらつく駐在大使ポール・クローデルか。それとも皇居の堀で老亀と戯れる孤独なパスカル・キニャールだったか。

ともあれ、彼らを幾許か慰めたであろう水面(みなも)の太陽はもうない。川は川で頑なに何ものをも映そうとせず、太陽は太陽で白々と天に輝き、そしてわれわれは、離婚寸前の両親に挟まれたこどものように、両者をかわるがわるながめるばかりだ。

だが、悲しむには早い。「川の地図辞典」をひもときたまえ。なんと東京には多くの暗渠があることよ。われわれが歩むところ歩むところ、いたるところに張り巡らされる憂鬱の黒い水脈。これぞわれら都会の廃嫡者の大いなる希望でなくてなんであろう。