ナンセンスの風船の束

 
 遅まきながら読みましたが、いやはやこれはすばらしいね!

 しかし拙豚のまわりの本好きの間では、この本はあまり評判がよくない。だから、そりゃなんでかいなと思いつつ読んだのだが、今となってはその理由が分かるような気がする。

 つまりレーモン・クノー、トーマス・ランドルフィ、カブレラ=インファンティ、ジャン・レイとある種の人々の垂涎の的である掛け値なしの異色作家を並べながら、あまりにも腹に溜まらぬ、屁のような作品ばかりだからだ。

 これじゃまるで、それらの作家の駄作ばかりをわざわざ選って寄せ集めたかのようではないか! 小説に淫した人、リズール、コネスール、呼び方は何でもよろしいが、まあ要するに小説世界に生きる人ほど、ここに収められた短篇群のあまりの無内容さには耐え難い思いをすることだろう。

 しかし、しかしである。この隠しテーマが「ナンセンス」であることに思い至れば、上に書いた一見短所と見える特徴は実は編者の周到な配慮の産物であることに気付かされよう。いわゆるアンソロジー・ピースを並べていく「物語の標本箱」としてのアンソロジーとは対極のアンソロジー美学がここにある。これは大空に向け放たれた風船の束のようなアンソロジーだ。読むやたちまち放たれる風船が、細すぎて目に見えぬ糸でかろうじて一巻につなぎとめられている。

 それにしても、「迷路でメロメロ」とか「キッチュしよう」とか、恥ずかしすぎるオヤジギャグ満載のダジャレ映画小説「エソルド座の怪人」で一巻を締めくくる編者の態度には満腔の敬意を表したい。