殿下頌

赤江瀑名作選 (学研M文庫―幻妖の匣)

赤江瀑名作選 (学研M文庫―幻妖の匣)

 
倉阪鬼一郎論ならなんとか書けるだろう。石堂藍論も(異次元に飛ぶことを恐れさえしなければ)まったく不可能ということはあるまい。しかし、東雅夫論を書こうなどと企てる人がもし将来出てきたら、さぞかし大変な苦労をすることだろう。なにごとかを論ずるには一度その対象の外に出て足場を確保せねばならない。しかし、東雅夫から外に出るとはいったい何を意味するのだろうか? 「あらゆる辺縁が中心である」というフレーズをかって聞いたことがあるが(出典思い出せず)、まさにこの人の場合がそんな感じだ。あらゆる辺縁が中心なら、そもそも出口はどこにあるのだろうか。