完全なるマゾヒストのために

人生を完全にダメにするための11のレッスン

人生を完全にダメにするための11のレッスン

帯によると、人生失敗学の本だそうだ。世に蔓延する自己啓発本のパロディらしい。しかし失敗するのに成功したということは、すなわち成功したということだから、失敗しなかったことになるのではなかろうか。「失敗学」とは存在しうるのか? ここにおいて事態はマゾヒストのそれに似てくる。マゾヒストとは苦痛を与えられて喜ぶ人々だから、苦痛を与えて喜ばせることは、すなわち喜ばせたということだから、苦痛を与えたことにならないのではないか?
ドゥルーズは「マゾヒストを縛るものは言語である」と河童、いや喝破した。肉体の苦痛は、なんらかの物語あるいは言語が伴わない限り、マゾヒストにとって快楽の源泉とはなりえないと。「完全に人生をダメにすること」を願う人々を縛っているのも同じく言語である。たとえばあなたが億万長者になったとしよう。傍目には立派な成功者である。しかしあなたが失敗志願者もしくはマゾヒストならば、「俺は百億万長者になるのに失敗した」と思うかもしれないし、はなはだしくは「金の亡者になって人生を棒に振った」とさえ事態を言語化して考えるかもしれない。あなたが新宿駅ダンボールハウスで夜を過ごすとしよう。傍目には立派な失敗者である。だが当人は「俺は自由を満喫している。俺の失敗もまだまだ本物ではない」と事態を言語化して考えているかもしれない。かくのごとく、失敗志願者はマゾヒストと同じパターンで言語に縛られる。
本書はフランスでベストセラーになったそうだ。マゾヒストは、自信たっぷりに書かれてはあるが前後撞着自己矛盾して縺れまくる本書の文章を読んで、まるでおのれを縛り上げる荒縄のように感じたのだろうか。それならサディストはこれをどう読んだだろう? たぶん何のためにこの本が書かれたのかさっぱり理解できなかったに違いない。澁澤龍彦の訳したロラン・トポールの漫画集「マゾヒストたち」はサディストも楽しめる本であろうが、一見似たようなところを狙っている本書を楽しむことはサディストには無理だろう。
 
(ところで著者の名は(訳者と同じように!)男性とも女性とも判じがたい。ドミニク・フェルナンデスは男だがドミニク・オーリーは女だ。この人はどちらだろうか。女性だったらいいなあと思ったりもする。)
 
クラニー先生、ありがとう!

http://www4.diary.ne.jp/user/442488/ (12/16のところ)