ケルベロス第五の首(昨日の続き)

最後まで読んで驚いた。手記やらインタビューや物語らの断片を入念に(時系列を乱しつつ)構成し、もって物語の迷宮を作り出す手法は、これはそのまんま「ドグラ・マグラ」ではないか・・・。で、作品のテーマも拙豚の見るところ、「ドグラ・マグラ」とかなり近い線を狙っているような気がする。ペルッツの「第三の魔弾」を読んだときも感じたが、こういう「ドグラ・マグラ」的感性は世界中に蔓延してるのですねえ。歴史の常数というか・・・

「ドグラ・マグラ」と同じく、この小説も裏プロットを隠し持っている。最初の違和感は、もうほとんど小説も終わらんとするp.286の7-8行目を読んだとき襲ってきた。このときは「これはなんか変だなあ。こんなキャラの設定だったかなあ」と思いながらも構わず読み進めた。しかしp.289の第二パラグラフとp.295のインタビューを突き合わせて読むに及び、いかに劣悪な拙豚の頭でも、何が本当に行われたかが、まず疑いなく分かりました。

いやー鳥肌が立ちましたよ。猛暑のさなかにこういう本を出し、もって納涼に資さんとする出版社の戦略は褒め称えられてしかるべきでしょう(しかしミステリマニアなら、たぶんもっと早い段階で真相を見抜くと思います。その意味で、この本は本格ミステリファンが読んでも、あるいは本格ミステリファンが読んだほうがむしろ感激するのではないか)。

そういうふうに仰天した後で、えっそうすると、第一話に登場したあの人は実は・・・と思いついてまた最初から読み返すと、そのままズブズブと作者の術中にはまっていくことになる。

第二話「ある物語」は、ドグラ・マグラで言えば「脳髄論」にあたる(「類推の山」で言えば例の寓話に当たる)、ある意味この小説のキモだろうが、誰がこれを書いたかによってその意味合いは変わってくる*1。で、その、誰が書いたか、のヒントはp.306の第二パラグラフあたりにあるのではないか?(29日に続く)
 

*1:「ドグラ・マグラ」で言えば、あの脳髄論をアンポンタン・ポカン君が書いたのか、それとも正木博士が書いたのかで意味あいが違ってくるようなもの