『怪の物』はBL(ボーイズラブ)か?

 
世を避け一人淋しく暮す江間医師(もちろん男性)のもとに、夜な夜な怪しい影が現れる。

余は折々暗(やみ)の夜に起上がりて窓の外に目を配るに、勿論闇き為に何物をも見弁け得べくも有らねど、荒れ果てたる原の面に、虫一匹動けりとも思われぬほど静かなり。唯だ気の所為か時々窓より些(すこ)しばかり離れたる所に、人の匍匐(はらば)いて余の窓を眺むるかと思われるる黒き影のあるに似たり(p.294、原文総ルビ)

なかなかに楳図なシーンであるが、この「黒き影」の正体は実は隣に越してきた大富豪村山三郎なのであった。彼の忠実なる老僕芦倉が後に語るには、

[…]私しも夜中のことなれば何人にも悟らるる恐れ無しと存じ其意に従い候所ろ、彼は如何にしてか貴方様の家の窓先に至り、貴方様の最(い)と陰気に物事を考うる姿を見るを何よりも喜ぶことと為り、毎夜の如く貴方様の窓先に数時間を費やすことと為りしは、全く貴方様を見入れたる者かと存じ候
 
璽(さ)れば此後、怪我せし時なども達て貴方様の治療を受けんと言張り、何と制しても止まり申さず、[…](pp.447-448)

魅入られたるように毎夜江間医師を慕い、その窓先を這う怪富豪村山三郎! ああ、果して彼が幸せになる日は来るのであろうか?