天城一の密室犯罪学教程 ISBN:4535583811

これまでアンソロジーに収録された数編しか読んでいなかった拙豚にとって、この本は実質的な天城一初体験であったが―― 一読して腰を抜かした。これは断じて一部マニア向けの本などではない。日本ミステリ史の里程標となるべき作品集だ。実際、本書は二つの点で塔晶夫「虚無への供物」に拮抗する書物といってよかろう。ひとつはそのアンチミステリーとしての構成において、もうひとつはその「戦後」の刻印において。
まずアンチミステリー性であるが、この作品集はなんというか、トリック偏重主義打倒のために書かれたトリック小説集なのである。それは乱歩にあてて書かれた献辞の末文によく示されている。

ここに提示するのはほとんど一九七○年代に初稿が書かれたものばかりです。先生のご覧に入れて、先生のテーゼを反証することがもはやできなくなってしまったことを、深く残念としますが、先生の思い出のために、これを捧げたいと思います。(本書p.151)

ここで「先生のテーゼ」とは、ミステリにおけるトリック中心主義を指す。このテーゼを反証するため、著者がとった戦略はアンチテーゼを提出することではなく、逆にそのテーゼを究極まで突きつめることにあった。つまり、「密室」をターゲットに、厳密な定義の上に、そのあらゆる可能性をあらかじめ先取りすることにより、その将来性のなさ(=その死)を宣告するのが著者の目的であったとおぼしい。(これは「虚無」で言えば、第四章で牟礼田のとった方法と一脈通じているような気がする。また、乱歩への弾劾は、やはり「虚無」終章の、トリックマニアな素人探偵衆に向けた蒼司の弾劾を思わせる。)
それにしても、乱歩が逝去したのは1965年。その26年後の1991年に、乱歩より25歳ほど年下の70歳を越えた著者が、滔々と弾劾の弁を述べつつ、愛憎こもごもに一冊の本を捧げているのだ。「先生、先生、」と掻き口説くがごとくに呼びかけながら。まさに中井流に言えば「譚さながら」の、腐女子めいた妄想もあやうく起ってしまいそうな眩暈的光景ではある。これはまるで現実というよりは戦前探偵小説の世界だ。たとえば次の文章のひたむきさはどうだろう。夢野久作「押絵の奇跡」など連想しないだろうか。

[…]ポーの《盗まれた手紙》にしても同様でしょう。ポーはトリックなどで読者を欺くつもりなど毛頭もなかったでしょう。
探偵小説の本場の海の彼方でもないものを、なぜ先生は探偵小説の一番肝心なものに据えてしまったのでしょうか。
先生
この謎を解くためには長い時間が掛かりました。先生の性格とか、思考の傾向とか、芸術上の好みとかには関係がないこと、基本的には先生がこのテーゼを紡ぎ出された昭和初頭の社会を視野に入れる以外に道はないと理解するためには[…](本書p.147)

もうひとつの特徴、「戦後」の刻印については多くを語る必要はあるまい。これも中井作品と同じく、ほとんどの短編に「戦後とは何であったのか」という執拗な問いかけが響きわたっている。Part1で活躍する名探偵島崎が畢竟GHQの走狗でしかないこと――その「推理」が常に権力側に都合のいい帰結しかもたらさないこと――ここにもトリック小説に対する著者のアンビバレンツな思いが潜んでいるのかもしれない。