SFマガジン2004年1月号


こことかここで話題になってるので久しぶりにSFマガジンを買ってみました。
この雑誌読むのはもう何年かぶりだが、うおう「おまかせ!レスキュー」の連載がまだ続いてる! 特集はレムだし、草上仁の短編が載ってるし、某石堂さんはあいかわらずだし、なんかこの雑誌時間が止まってまつねー。それともこの号だけ、たまたまこうなのか? 
しかし言っちゃーなんだがこのレム特集なんて20年前のセンスではないのくわっ? 「SFの本」がレム特集やったときから全然進歩してねえ! この特集の、「共通了解が既にできていて、あとはそれを繰り返しつつ確認するだけ」みたいな批評精神の驚くべき不在はも少し何とかならなかったものか?
今回の特集の中で、若島正氏が、「レムをSF作家としてではなく、世界文学の作家として眺めたとき、いちばん近そうな作家は誰だろうか?」という問いを発しておられるが、拙豚的にはその答えは「サド」以外にありえない。その仮借ない論理。その黒いユーモア。飽くことなき知識征服欲。生物学と機械学との結婚。かって三島由紀夫が、フランスのある種の文学者について、「19世紀の頭越しに、18世紀と20世紀を直に握手させる」と評したが、レムもまた、その一群の文学者の仲間入りをする資格が十分あろう。もっとも、彼の理論的著作がガンガン紹介されないことには、この意見はあまり賛同を得られんかもしれん。彼の卓抜なエッセイ「サドとゲーム理論」は国書の今度の著作集に収録されるんだろうか? もしそうでないなら、拙豚が自分で訳してみようかしらん(もちろん重訳だがなー)
で、それはともかく、肝心の東×下楠対談であるが、殿下の博覧強記には毎度のことながら舌をまくなり。逐一一次文献に当たってる人はやはり強いでつね。それに東氏にも下楠氏にも、本来の批評精神が脈々と波うっているのが頼もしい。例えば黴の生えかけた「ドラキュラ」や小泉八雲といった大古典の自在な読み替え、新しい血の流入によって、それらを蘇生させることに成功しているではないか。おお、まことに、血こそ命なれば――。それはレム特集の死体解剖趣味とはまさに対蹠的なものである。