『お住の霊』

 
湯田伸子のマンガに「ラジオ・ダルニー」というのがある。この作品では日本が第二次大戦で勝利していて、主人公の女性は大連(ダルニー)の放送局でディスクジョッキーをしている。やがて彼女は今いる世界が、自分の老母の思念が作り上げた夢であると知る。母の死とともにこの世界も終わることを知っている日本軍は、必死で母の延命を図ろうとするが……という話。中井英夫の『他人(よそびと)の夢』にも似た発想があったと思う。

岡本綺堂の膨大な作品群に接するとこの「ラジオ・ダルニー」が浮かんでくる。江戸から明治、日本から満州、さらには中国や欧米の怪談へと時空を超えて広がる綺堂の文業は、そのバラエティに富んだ題材でひとつの世界をつくりあげている。だが「文章で独自の世界を作りあげるのだ」という気負いはそこには感じられない。ちょうど半七老人の昔話のように、何もかもがざっくばらんに語られるのみだ。その不思議な浮遊感、不思議な現実感のなさ、そしてしばしば謎を残したまま終わる物語は、すべてが綺堂の見た夢であるかのようだ。

そしてこの世界は、「ラジオ・ダルニー」の老母の夢とは違って、綺堂の死とともには終わらない。たとえば乱歩と同じく、綺堂も絶え間なく文庫の新刊が出て、今に生き続けている。

今度出た東雅夫さんの新刊も、"Kido is alive and well." を示す嬉しい一冊で、舌なめずりしながら読んだ。巻頭の「五人の話」は、一話をのぞいて今回が初単行本化であり、一堂に会した面々が一人ずつ奇譚を語っていくという綺堂十八番の趣向の連作である。「お住の霊」や「青蛙神」など、意外なところで旧知に出くわすような驚きもある。怪奇戯曲「平家蟹」が初演されたときには、機械仕掛けの蟹の大群が舞台をゴソゴソ動き回っていたらしい。どこかでそう読んだ記憶がある。その舞台写真も見たような気がするがハテあれは何の本だったろう。