裏切り者と英雄のテーマ

(注意!:作品の内容にある程度触れています)

この作品と『ウロボロスの純正音律』とは共通点が二つある。ミステリの古典を下敷きにした犯人設定であること、それから「盲目」が伏流するテーマとなっていること。地球の裏側でもこんな新本格みたいなミステリが書かれているとは驚きだ。といってもいわゆるバカミスではない。伏線は真面目に(それも意外なところに!)張られているし叙述もフェアが心がけられている。

語り手の翻訳家フォーゲルスタインはかつてボルヘスの作品を改竄して翻訳したことがあった。原作のあいまいな結末にあきたらず、無断で独自の結末をつけ加えたのだった。それから何十年も立ったあと、彼はブエノスアイレスで開催されたエドガー・アラン・ポーの研究団体「イズラフェル協会」の年次大会で偶然にボルヘスと出会う。幸いにしてボルヘスは無礼をはたらいた翻訳家を覚えていないようだった。

その晩、語り手やボルヘスらの宿泊していたホテルの一室でイズラフェル協会会員の一人が殺される。現場は内側からチェーンがかけられた密室。警察が来る前に現場は見物人によってさんざんに荒らされたため、犯行現場の再現は第一発見者である語り手の記憶のみが頼りだった。

確か死体は姿見の前で、尻を姿見にくっつけてV字型になっていた。鏡像とあわせればXの字だ。いや違った、姿見にくっついていたのは尻ではなくて爪先で尻はドアに向いていた。つまり鏡像と合わせればWの字だ。いやいやそれも違った、死体は…・・・というように、語り手は次々に新しい「記憶」を呼び起こし、そのたび探偵役のボルヘスは翻弄される。

帰国後に語り手は、今度こそ本当に蘇った記憶をもとにボルヘスに手記を送りつけ挑戦する。わたしは昔あなたの作品に勝手な結末をつけた。今度はあなたがわたしの原稿に結末をつけてごらんなさいと。
――とあらすじを書くと、心理的に見て誰が犯人か丸バレのようにも思われるけれど、はたして本当にそうなのか、サテお立会い、といったところ。

ボルヘスが語り手に送ってよこす結末は、いわゆる本格ミステリ的謎解きとしては申し分ないものの、遺憾ながらボルヘスらしさがあまりない。
しかしこうも考えられる。自らの作品を改竄された復讐のため、ボルヘスはあえて語り手の原稿に陳腐な結末をつけたのではないかと。(事実回収されていない伏線がいくつかある) なんとボルヘス的復讐ではないだろうか。つまり、この作品はちょうど倉阪鬼一郎の『留美のために』と同じく、真の結末は読者に向けて開かれているのだ。

本書はプラジル語(ポルトガル語)の原文の英訳からの重訳だが、重訳の弊害が典型的に出ているようにも思える。読んでいるあいだ、作品そのものというよりは作品のシノプシスを読まされているような気がしてならなかった。やはり原語からの直接訳が一番だ〜。